映画『関ヶ原』では、石田三成(演:岡田准一)が懸命に、豊臣家の天下を守ろうとしますが、その天下はついえてしまいます。そこで、豊臣家の天下が続かなかった7つの原因について紹介しましょう。
映画『関ヶ原』のキャスト
映画『関ヶ原』は、2017年8月26日に上映されました。
監督&脚本&原作
女優&男優
映画『関ヶ原』に出演していた俳優たちを紹介します。
豊臣家
- 豊臣秀吉(演:滝藤賢一)秀頼の可愛さあまり狂い出した天下人
- 前田利家(演:西岡徳馬)徳川家康に次ぐ大大名
- 北政所(演:キムラ緑子)豊臣秀吉の正室だが、徳川家康に味方する妻
- 淀殿(演:和田菜々)豊臣秀吉の側室だが、北政所と対立する妻
- 一の台(演:清水直子)豊臣秀次の正室
西軍側(総大将:毛利元就&実権:石田三成)
- 石田三成(演:岡田准一)正義を大事とする五奉行の一人
- 島左近(演:平岳大)石田三成に過ぎたるありとまで言われた知将
- 初芽(演:有村架純)石田三成の忍者にして愛妾
- 小早川秀秋(演:東出昌大)豊臣家の身内だが裏切ってしまう武将
- 上杉景勝(演:辻本晃良)徳川家康を追撃できなかった奥羽の大大名
- 直江兼続(演:松山ケンイチ)上杉の軍師にて、石田三成の盟友
- 宇喜多秀家(演:生島翔)西軍の猛将として関ヶ原で活躍
- 大谷刑部(演:大場泰正)小早川秀秋の猛攻に耐えた知将
- 島津義弘(演:麿赤児)関ヶ原で敵中突破をした鬼島津
- 安国寺恵瓊(演:春海四方)毛利家の参謀として名高い僧
- 毛利輝元(演:山崎清介)関ヶ原に向かわず毛利に不幸をもたらす暗愚
東軍側(総大将:徳川家康)
- 徳川家康(演:役所広司)五大老筆頭にして、250万石の大大名
- 本多忠勝(演:天乃大介)戦場では1回も傷つかなかった猛将
- 井伊直政(演:北村有起哉)徳川四天王の一人
- 本多正信(演:久保酎吉)徳川の名参謀
- 加藤清正(演:松角洋平)朝鮮では虎退治で名を馳せた猛将
- 黒田長政(演:和田正人)西軍に裏切り工作をしかけた知将にして猛将
- 福島正則(演:音尾琢真)石田三成を嫌って東軍についた愚か者
映画『関ヶ原』のストーリー
豊臣秀吉は、130年以上も続いた戦国時代に終止符を打って、太平の世を実現させたかに見えていました。ところが、年老いていくうちに、一人息子の秀頼ばかりを溺愛して、何と豊臣秀次もろとも一族を処刑しようとします。
その処刑に、多くの者たちが豊臣秀吉の暴挙に呆れ果ててしまいますが、石田三成は豊臣家の重臣として処刑を行わなくてはいけなかったのです。豊臣の屋台骨が崩れていくのを徳川家康はてぐすねひいて待ち望んでいました。
石田三成は『そうはさせるか』と島左近を召し抱えますが、ついに豊臣秀吉は逝去。
この時を待っていた徳川家康は、豊臣家を真っ二つに分かれるように、石田三成を毛嫌いする大名たちを次々に味方へと付けていきます。石田三成は、盟友の直江兼続と合議して、東西から徳川家康を挟み撃ちにしようとしました。
直江兼続は、上杉家を動かして徳川家康を挑発したので、徳川家康は大軍を奥羽(会津)に向かわせます。その隙をついて、石田三成は兵をあげますが、徳川家康は最上や伊達を上杉に向かわせて、自軍は関ヶ原へとって返します。
ここに日本の歴史を揺れ動かす関ヶ原の戦いが始まりますが、勝つのはどちらでしょうか?
『石田三成が徳川家康に負けた7つの原因』
石田三成が、徳川家康に負けた原因は少なくとも7つはありました。
1:関ヶ原以前から人の心をつかもうとしなかった事
石田三成は、徳川家康相手にも傍若無人な振る舞いをして、周囲から「権勢をかさに威張り腐りおって」と反感を持たれます。さらに、朝鮮で戦っていた武将たちの苦労を分かろうともしない所もあって、尾張派の武将たちに恨まれてしまいます。
2:豊臣家を乗っ取るつもりと疑われた事
豊臣家には、尾張派と近江派がいて、石田三成は近江派の武将でした。そして、豊臣秀吉が最も寵愛した淀君は、近江派だったので、石田三成は近江派の武将として豊臣家を乗っ取るつもりではないかと疑われてしまいました。
この事も、関ヶ原で石田三成に味方をする武将が少なくなってしまった要因となってしまいます。
3:毛利輝元が西国の領地拡大を狙った所
毛利家は、関ヶ原の合戦が起きていた時に何もしていなかったというのが定説でした。ところが最近になって、ある動きが注目されています。それは毛利輝元が西国の領地拡大のために、関ヶ原ではない所で戦おうとしていた所です。
これは豊臣秀頼に従い続けるつもりがあったのかどうかも怪しい動きと言えますが、これが後に毛利家を大減封させてしまう口実を作る事になりました。
もしも、毛利輝元が関ヶ原にかけつけていたら日本の歴史は変わっていたでしょう。
4:西軍の裏切りを見抜けなかった事
石田三成は、関ヶ原で鶴翼の陣で迎え撃ちます。その方翼だったのが『小早川秀秋』や『毛利秀元(毛利輝元の代理)』でした。このまま両翼が西軍を挟み込むように攻撃をしていたら、間違いなく西軍の勝利だったでしょう。
しかし、小早川秀秋は裏切って大谷隊へ突撃していって、毛利家は最後まで動きませんでした。後に、プロイセン帝国(ドイツ)の軍人クレメンス・メッケル少佐が、来日した時に関ヶ原の配置図を見たら「これは西軍の勝ちだ」と即答したと言われています。
それほど、西軍は優勢に陣を構えていた訳ですが、徳川家康は敵の寝返りがあったればこそ、このような配置のまま勝負をした訳です。
石田三成が、この裏切りを見抜けなかった事が最大の敗因と言えるでしょう。
5:利より義を重んじた事
石田三成は、利より義を重んじていました。それに引き換え、徳川家康は利で多くの味方を付けて天下を統一します。
人は義よりも利に走りがちで、中国でも劉邦が利によって多くの者たちの心をつかんで項羽に勝つ事ができました。もしも、石田三成が利にもう少し理解していれば、勝つ事も可能だったでしょう。
6:上杉景勝が徳川家康を追撃しなかった事
新潟県出身者として、こればかりは愚か者と思う所ですが、上杉景勝が徳川家康を追撃しなかった事は石田三成の敗因につながる行為でした。
最上や伊達が動いた事は、確かに上杉を牽制する事はできますが、全く追撃できない訳でもありませんでした。
少しでも追撃をしていたら、徳川家康があれほどの軍勢を西に向かわせる事はできなかったので、上杉景勝の行為は愚かとしか言いようがありません。
7:徳川家康の動きを見誤った事
石田三成は、徳川家康の動きは遅いものと思っていましたが、そうではありませんでした。
徳川家康は、息子の秀忠が信州の真田に足止めされている時にも関わらず、美濃の城を落として、関ヶ原へ軍を進めてきたのです。この動きの遅さや誤った戦法によって、島津義弘の心は石田三成から離れてしまいました。
それが、島津義弘が戦場を動かなかった要因にもなってしまいます。もしも、戦の最中に敵中突破のような突撃をしていたら、東軍を崩す事は十分に可能だったでしょう。
映画『関ヶ原』と他の作品を比較
www.akira-movies-drama.com映画『関ヶ原』は、一つの戦に焦点を絞って作り上げた大作です。このような映画は多くありませんが、それをはるかに超えるスケールで作られたものが『天と地と』です。
天と地とは、黒の上杉軍と赤の武田軍が川中島でぶつかりあう映画です。
そのスケールや迫力は、関ヶ原の比ではありませんでした。そのような事を考えたら、映画『関ヶ原』は関係のないシーンをもう少し省いて、合戦に力を入れて欲しかったです。
映画『関ヶ原』のネットの評価
ネットでは、歴史好きしかついてこれない内容だろうという厳しい評価がされていました。私も、これには全く同感で、歴史が好きでなければ『なんだ、この映画は?つまらん』と思ってしまうはずです。
さらに、役者たちが早口で喋りすぎるという事もありましたが、これは歴史映画には不向きな演出ですね。武士たちの迫力は、ゆっくりと喋る所に凄みを効かせる事は多々あります。
しかし、関ヶ原に至る経緯が丁寧に描かれていたので、そこを評価している方もいました。そのため関ヶ原の戦いを見たい方よりも、なぜ関ヶ原が起きたのか?その辺りを見たい方にオススメできる映画と言えますね。
映画『関ヶ原』のまとめ
自分が好きな合戦を3つ挙げてみてと聞かれたら、川中島・桶狭間・関ヶ原などをあげます。
それだけに、関ヶ原の合戦よりも、関ヶ原の合戦に至る経緯に時間とお金をかけすぎたのは痛恨の極みですね。
これほどの役者と資金を、なぜ戦にもっとかけなかったのか?残念で仕方ありません。
気になったのは、岡田准一さんや役所広司さんが早口で喋りすぎるという事と、松山ケンイチさんが爽やかに喋りすぎる事ですね。これでは戦国武将の迫力を実現するのは無理です。
そして、役所広司さんがお腹だけをぽっこりとさせている所を見せますが、あまりにも不自然な太り方なので『これではなぁ』と思ってしまいました。
色々と不平不満を書いてしまいましたが、それでも一つの合戦にこれだけお金を投じた映画は久しぶりだったので、また合戦を舞台にした映画が出てくる事を祈りのみです。