島津義弘が伏見城に入れなかった理由を解説!大河ドラマ『葵 徳川三代 第7回』

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出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ

大河ドラマ『葵 徳川三代 第7回』では、なぜか島津義弘伏見城に入れず、鳥居元忠と口論してしまいます。そこで、鳥居元忠島津義弘の入城を拒絶した理由を解説するので参考にしてみて下さい。

ドラマ『葵 徳川三代 第7回』のキャスト 

大河ドラマ『葵 徳川三代』は、2000年1月9日〜2000年12月17日に放送されました。

脚本&演出

女優&男優

大河ドラマ『葵 徳川三代』に登場する人物たちです。

徳川家
豊臣家

 

ドラマ『葵 徳川三代 第7回』のストーリー

西軍では少しでも多くの大名を参戦させるために、総大将は石田三成ではなく、毛利輝元にしようと動き出します。佐和山の小大名とは違い、毛利輝元五大老の一人にして、120万石の大大名なので、多くの大名たちが従ってくれる可能性はありました。

石田三成は、三奉行に働きかけて、豊臣家を結束させて徳川家康に対しての弾劾状をしたためる事になります。安国寺恵瓊の説得により、毛利家の主 輝元や重臣たち、さらには宇喜多秀家などは、徳川討伐に賛成しました。

それでも、吉川広家だけは煮え切らない態度を取ってしまうので、安国寺恵瓊は少しだけ懸念を抱いてしまいますが、石田三成は「一人ぐらい抜けても構わぬでしょう」と言ってしまいます。これが後に大きな悲劇を生んでしまうとも知らずに。

島津義弘伏見城まで行き加勢しようとしますが、鳥居元忠は主君から島津勢の加勢を聞いていなかったので、入城させませんでした。これに島津義弘は激怒して退却していったのです!

石田三成は、東軍側の大名の妻たちを人質にしようとしますが、細川忠興の妻ガラシャは人質になる事を拒絶して、部下に殺害するように命じて、はかない生涯を閉じました。

これにより石田三成は人質を取る事を改めますが、東軍の怒りを買う事になってしまうのです。

島津義弘伏見城に入れなかった理由を解説』

鳥居元忠は少数だったので、なんで島津義弘の加勢を認めなかったのか?不思議に考えてしまう方は多いかもしれません。

しかし、徳川家の間では島津に対して、疑いの目を向けていたので、入城を断られた可能性が高いのです。なぜなら、島津義久は徳川方に参戦するのを渋っていたからです。

島津は武断派の家柄として有名ですが、当主の島津義久は思慮深い人物であり、簡単には出陣しない人物でした。その代わりとなって出陣していたのが、弟の島津義弘です。

島津義弘は、徳川方として参戦するので増兵を依頼しますが、断られてしまいます。さらに、徳川家康鳥居元忠に、島津勢が加勢する事を知らせていなかったので、鳥居元忠は島津は軍略で城を落とそうとしているのではないかと疑った訳ですね。

この遺恨が後々まで響いて、島津勢は率先して伏見城の攻略に力をそそいでいきました。

ドラマ『葵 徳川三代』の全話のストーリー

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ドラマ『葵 徳川三代 第7回』のまとめ

第7回では、島津義弘が入城しようとしていましたが、もしも城に迎え入れられていたら、どうなっていたのかと思う展開でしたね。

東軍として加勢していたら、もしかしたら薩摩藩の石高は増やされていたかもしれないので、幕末で倒幕に向かう力は弱まっていたかもしれません。そうなると、伏見城での出来事は、日本の歴史を大きく変えるターニングポイントだったと言えるでしょう。

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