徳川秀忠(演:西田敏行)に遅参の責任はない?大河ドラマ『葵 徳川三代 第10回』

f:id:akira2013web:20210130213733p:plain

出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ

大河ドラマ『葵 徳川三代 第10回』では、徳川秀忠(演:西田敏行)が関ヶ原の合戦に遅参してしまいますが、それは徳川秀忠ばかりに責任があるとは言えないので、その理由について解説しましょう。

ドラマ『葵 徳川三代 第10回』のキャスト 

大河ドラマ『葵 徳川三代』は、2000年1月9日〜2000年12月17日に放送されました。

脚本&演出

女優&男優

大河ドラマ『葵 徳川三代』に登場する人物たちです。

徳川家
豊臣家

ドラマ『葵 徳川三代 第10回』のストーリー

徳川秀忠は、父の家康から「上方へ出陣するように」と命じられるので、宇都宮から3万8000の大軍を出陣させます。

美濃の大阪では、東軍の4万8000が襲いかかろうとしなくて、慎重に戦の準備を進めていました。石田三成は、居城の佐和山城が危ういと想い、すぐに軍勢を引き返そうとしますが、島津義弘小西行長は猛反対してしまうのです。

それでも、石田三成は反対を押し切って、軍を引き返してしまい、西軍は足並みが乱れてしまいます。

しかし、東軍でも思わぬ誤算が生じていました。それは徳川秀忠真田昌幸・幸村親子に降伏を促したら、のらりくらりと返答をされて、時間稼ぎされた挙げ句の果てに、最後には挑発的な返答をされてしまったのです。

大久保忠隣たちは「真田昌幸を討つべし」と主張しますが、本多正信は「昌幸は強(したた)かじゃ!ここはすぐに上方へ行くべき」と反論します。徳川秀忠は、真田親子の上田城を攻めますが、戦上手の昌幸によって苦戦を強いられてしまうのです。

本多正信は、軍の規律を破り、勝手な事をした諸将を罰してしまい、大久保忠隣は自分の部下が自害してしまい、本多正信を恨んでしまいます。

その頃、上方では宇喜多秀家長宗我部盛親たちが着陣しますが、大津城の京極高次が東軍側についてしまい、1万5000もの西軍が足止めをくらってしまうのです。

西軍は大津城の陥落を待ち望み、東軍は徳川秀忠の着陣を待ち望む情勢になりますが、どちらが優勢になるのでしょうか?

徳川秀忠(演:西田敏行)に遅参の責任はない』

徳川秀忠(演:西田敏行)は、後継者と言われていたのに、天下分け目の合戦に遅参するという前代未聞の事をしてしまいます。

しかし、徳川秀忠には遅参の責任があるかというと、そうとも言い切れません。なぜなら、徳川家康は9月10日までに美濃の赤坂へ来るようにという手紙を送りますが、使者は川の増水によって、到着が遅れてしまったからです。

徳川秀忠のもとに手紙が渡ったのは9月9日であり、たった1日で信州の上田から美濃の赤坂へ行くというのは、戦国時代では無理な話です。

安易に真田の上田城を攻めた責任はあっても、遅参の責任があるとは言えないので、この辺りも考慮して、徳川家康は秀忠に家督を譲ったのでしょう。

そして動画配信『U-NEXT』に入会すれば、1200ポイントがもらえるので、そのポイントでNHKパックの大河ドラマ『葵 徳川三代 第1〜49(最終話)』を見る事ができます(2021年2月時点)。

下の広告をクリックしたら、動画配信『U-NEXT』に入会できます(初入会の方は、31日間は無料)。

ドラマ『葵 徳川三代』の全話のストーリー

www.akira-movies-drama.com上の内部リンクをクリックしたら、大河ドラマ『葵 徳川三代』シリーズの全話のストーリー・キャスト・豆知識・見所などを見られます。

ドラマ『葵 徳川三代 第10回』のまとめ

第10回では、徳川秀忠が遅参してしまいますが、この苦い経験が二代将軍になった時に、いかんなく発揮されたのでしょう。

さすがに、川の増水で使者が遅れてしまっては、徳川秀忠ばかりを責めるのは酷というものです。

いよいよ、関ヶ原の合戦が始まろうとするので、猛将たちの戦いがどのように行われていくのか楽しみで仕方ないですね。