毛利秀元が南宮山を降りられなかった理由を解説!大河ドラマ『葵 徳川三代 第11回』

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出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ

大河ドラマ『葵 徳川三代 第11回 天下分け目』で、毛利秀元が南宮山を降りられなかったのは、吉川広家以外にも理由があったので詳しく解説しましょう。

ドラマ『葵 徳川三代 第11回』のキャスト 

大河ドラマ『葵 徳川三代』は、2000年1月9日〜2000年12月17日に放送されました。

脚本&演出

女優&男優

大河ドラマ『葵 徳川三代』に登場する人物たちです。

徳川家
豊臣家

ドラマ『葵 徳川三代 第11回』のストーリー

西軍は、大津城に猛攻をしかけていて、残すは本丸のみとなりました。このまま手をこまねいていたら、西軍には新たに1万5000もの大軍が加わる事になり、東軍では徳川秀忠の援軍が到着するのを待つべきか決断を迫られていました。

ついに、徳川家康は出陣を命じてしまい、松平忠吉から「兄上(秀忠)は?」と問われても「見限る!」と怒鳴ってしまうのです。徳川家康は、得意の夜戦に引きずり込むために、佐和山城を攻めるという流言を放ちます。

石田三成は、この流言に騙されてしまい、関ヶ原に布陣をする事になったのです。徳川家康は「してやったり!信康のおかげじゃ」と亡くなった息子が力を貸してくれたに違いないと喜ぶのです。

松平忠吉が先陣を切り、黒田長政が狼煙をあげて、両軍合わせて16万近い大軍がぶつかりあう事になりました。世に名高い、日ノ本最大の野戦『関ヶ原の合戦』の始まりです。

激戦が続く中で、石田勢は大筒を放って、黒田勢や細川勢は苦戦を強いられます。しかし、西軍で実際に動いている部隊は少ない状態だったのです。

吉川広家が毛利勢を動かそうとしなくて、小早川秀秋日和見を決め込んでしまいました。

はたして、勝つのはどちらでしょうか?

毛利秀元が南宮山を降りられなかった理由』

南宮山に陣取った毛利秀元は、下山して徳川家康の背後をつこうとしますが、山の麓(ふもと)にいた吉川広家が「コウチュウ(弁当)を食べるので、今は動けない」と訳の分からない言い訳をされてしまって、動くに動けませんでした。

そこで、疑問に感じるのが『それでは、吉川勢を蹴散らせば良かったのではないか?』という所でしょう。生きるか死ぬかの戦場で、部下が動かないから、自分も動けなくて味方が大敗したら話になりません。

しかし、それを出来ない事情が毛利秀元にありました。

毛利秀元はあくまでも代理で、若干22歳という若武者だったので、重臣の言葉を退けるような立場にありませんでした。しかも、本陣にいた重臣の多くも徳川家康に内応している者もいたので、吉川勢を蹴散らしてまで、下山できなかったのです。

そういった事を考えたら、毛利秀元が下山できなかった原因は、すべて吉川広家が反対したせいとは言い切れないのです。

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ドラマ『葵 徳川三代』の全話のストーリー

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ドラマ『葵 徳川三代 第11回』のまとめ

第11回では、吉川広家徳川家康に内応をして、これで毛利家が守れると思って、安国寺恵瓊をないがしろにしてしまう訳ですが、のちに地獄を見る事になってしまいます。

『いやぁ、あのタヌキちゃんは信用してはいけないって、青い、青すぎるぞ吉川広家!』と突っ込みたくなる所でしたね。

何はともあれ、これで関ヶ原の合戦は中盤ぐらいまではきたので、次回ぐらいでいよいよ関ヶ原も大詰めになる所なので、どんな戦いが展開されていくなおか楽しみです。