越前が福井に地名が変わった理由を紹介!大河ドラマ『葵 徳川三代 第18回』

f:id:akira2013web:20210130213733p:plain

出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ

大河ドラマ『葵 徳川三代 第18回 異母兄弟』では、越前北ノ庄が福井に地名が変わるので、その理由やいきさつについて詳しく紹介しましょう。

ドラマ『葵 徳川三代 第18回』のキャスト 

大河ドラマ『葵 徳川三代』は、2000年1月9日〜2000年12月17日に放送されました。

脚本&演出

女優&男優

大河ドラマ『葵 徳川三代』に登場する人物たちです。

徳川家
豊臣家

ドラマ『葵 徳川三代 第18回』のストーリー

お初は、淀君から、ある女性を紹介されて驚いてしまいます。なぜなら、それは羽柴秀勝との間で産んだ娘の完子だったからです。わざわざ、娘に引き合わせてくれた姉の淀君に「大阪まで来た甲斐がありました」と感謝するのです。

淀君は、今まで大事に育てて来た完子を公家に嫁がせる事になりますが、お江は豊臣と徳川が本当に仲良くやっていけるのか心配で仕方ありませんでした。

島津忠恒前田利長たちは、宇喜多秀家の助命を嘆願してきますが、徳川家康は「断罪に処すべし」と怒鳴りつけます。しかし、大藩の大名たちが低姿勢で頼み込む姿を見て、満悦感にひたり、宇喜多秀家流罪にとどめたのです。

ところが、徳川家康は多くの身内が若年ながら病気で亡くなってしまい『ワシを死ぬのを待ちわびている者は多かろう。早急に江戸幕府を盤石のモノにせねばならん』と考えて、越前の結城秀康や、尾張松平忠吉を呼びつけます。

徳川家康は、徳川秀忠が右大将になった事を誇らしげに語りますが、結城秀康は「私は徳川の一門なのに、鉄砲隊をたずさえて江戸へ入ろうとしたら、関所で足止めを食らいました」といきりたちます。

その日の夜、徳川家康は息子の秀忠だけをコッソリと呼びつけて「かつて、ワシの父や祖父たちは家臣の裏切りによって殺された。それを考えたら、兄の秀康や、妻のお江が裏切るかもしれぬから、気をつけよ」と言って、秀忠は驚愕してしまうのです!

『越前が福井に地名が変わった理由』

結城秀康は、徳川家康に「越前北ノ庄は、2度も落城していますが、これは北ノ庄という北という地名が不吉と考えられるので福井と名付けとうございます」と頼み込みます。

今まで、運(福)が無かった事から、越前北ノ庄から福井(福居)と変えた訳ですね。その甲斐あってか?戊辰戦争では、長岡や会津のような大戦が、福井では起きなかったのかもしれません。

動画配信『U-NEXT』に入会すれば、1200ポイントがもらえるので、そのポイントでNHKパックの大河ドラマ『葵 徳川三代 第1〜49(最終話)』を見る事ができます(2021年3月時点)。

下の広告をクリックしたら、動画配信『U-NEXT』に入会できます(初入会の方は、31日間は無料)

ドラマ『葵 徳川三代』の全話のストーリー

www.akira-movies-drama.com

上の内部リンクをクリックしたら、大河ドラマ『葵 徳川三代』シリーズの全話のストーリー・キャスト・豆知識・見所などを見られます。

ドラマ『葵 徳川三代 第18回』のまとめ

第18回では、結城秀康と異母弟の徳川秀忠の間に、波風が立ちそうになったので、徳川家康が早めに忠告をしていました。この辺りは、祖父や父が家臣の裏切りによって殺されてしまい、自分はみじめな少年時代を過ごした経験が効いていたのでしょう。

そういった事を考えたら、徳川家康は家臣を信頼している反面で、警戒してきたと言えます。

松平は滅亡してもおかしくなかったのに、それが幕府を開くまでに至ったのは、徳川家康一代の功績と言えるでしょう。