徳川秀忠と木村重成が関ヶ原について口論?大河ドラマ『葵 徳川三代 第29回』

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出典:大河ドラマ「葵 徳川三代」 | NHKドラマ

大河ドラマ『葵 徳川三代 第29回 大坂夏の陣』では、徳川秀忠木村重成関ヶ原について口論するので、詳しく紹介しましょう。

ドラマ『葵 徳川三代 第回』のキャスト 

大河ドラマ『葵 徳川三代』は、2000年1月9日〜2000年12月17日に放送されました。

脚本&演出

女優&男優

大河ドラマ『葵 徳川三代』に登場する人物たちです。

徳川家
豊臣家

ドラマ『葵 徳川三代 第29回』のストーリー

徳川軍は最新式の大筒を放ち続けて、弾丸が大阪城の本丸を直撃して、ついに豊臣家は和議を結ぶ事になります。

大阪方の常高院(お初)と、徳川方の阿茶局と女同士で和議の交渉を進めて、和議の条件として、豊臣家の所領は安堵して、淀君の江戸下向はしなくてよい事になりました。

しかし、その代わり、豊臣家の外堀を埋める事と、大野治長が人質を出す事が条件とされたのです。

大阪の浪人たちは外堀を埋める条件に異議を唱えますが、織田有楽斎常高院の説得により、誓紙を取る事となります。ところが、徳川軍は外堀だけではなく、内堀までも埋めてしまい、二の丸・三の丸も取り壊してしまいました。

大野治長織田有楽斎は、徳川秀忠に異議を申し立てようとしても、徳川の重臣たちは「総堀とは外堀だけではなくて、内堀や二の丸・三の丸も含まれる」と耳を貸しませんでした。

そして、大阪城で浪人たちが戦いを辞めようとしなかったので、徳川家は「豊臣の約束違反は明白である。伊勢または大和へ国替えするように」と要求しますが、豊臣家は国替えの要求を突っぱねてしまうのです。

徳川軍は豊臣家はふみ潰すべきと決断して、怒涛の勢いで、堀のない裸同然の大阪城へ迫ってきました。道明寺で、大阪方の後藤又兵衛と徳川方の伊達政宗が激突して、大坂夏の陣が始まります。はたして、その勝敗はどうなるのでしょうか?

徳川秀忠木村重成関ヶ原について口論』

徳川秀忠は、誓紙を取りに来た木村重成に「真田幸村は生きているか?あ奴には遺恨がある。あやつのために、関ヶ原に遅参したからのぅ。できれば、この戦で討ち取りたかった」と笑い飛ばしますが、木村重成も「幸村も同様な事を申しておりました」と反論して、徳川家の重臣たちは「控えよ、将軍家の御前なるぞ!」と叱りつけます。 

やはり、徳川秀忠としては真田幸村を討ち取りたかったのでしょう。しかし、大坂夏の陣でも、真田幸村徳川家康さえも追い詰めるので、島津家から「日本一の兵(つわもの)」と評されたほどでした。

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ドラマ『葵 徳川三代』の全話のストーリー

www.akira-movies-drama.com

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ドラマ『葵 徳川三代 第29回』のまとめ

第29回では、徳川秀忠木村重成が口論してしまいますが、最終的には徳川秀忠重臣たちをさとして、和議が一旦は結ばれます。

しかし、豊臣秀頼が国替えをしたとしても、最終的には徳川家に難癖をつけられて、取り潰されていたようにも思えますね。徳川家は譜代の大名であっても、力があれば、些細な理由でつぶしてきたから、その可能性は極めて高かったです。

それにしても、織田は一代、豊臣は二代しか続かなかったのに、徳川が15代も続いたのは凄い話です。

鎌倉や室町も長くは続きましたが、鎌倉幕府は四代目で執権が実験を握りましたし、室町幕府は内乱続きだったので、それを考えたら江戸幕府がいかに盤石だったか、よく分かりますね。