スーザンのサメ実験を食い止めるチャンスがあった?映画『ディープ・ブルー』

映画『ディープ・ブルー』では、美人な研究家スーザンがサメ実験を繰り返して犠牲者を多く出します。しかし、その実験を止めるチャンスがあったので、詳しく紹介しましょう。

ディープ・ブルー』のキャスト

アメリカ合衆国のパニック系のサメ映画『ディープ・ブルー』は、日本では1999年10月9日に上映されました。

監督&脚本

登場人物&俳優

ディープ・ブルー』のストーリー

サメを動物実験していた研究所から、サメが一頭逃げてしまって、新聞に取り上げられるようになりました。

キマイラ製薬の社長であるラッセルは大きな懸念を抱いて、実験の中止をスーザンに通達します。しかしスーザンは激しく反論するので、もう一度だけチャンスを与える事にしたのです。

ラッセルは、研究施設まで足を運びますが、事のなりゆきを知っていた研究所のメンバーはそっけない対応をする者が多かったのです。しかしラッセルと同じ黒人である料理人プリーチャーは優しい言葉をかけて、ラッセルは微笑むのです。

そしてラッセルの目の前で、サメを使った動物実験を行って、その実験は成功します。しかし実験が終わった後に、ジムがサメに腕を食われてしまったのです。現場はパニック状態になります。

ジムはすぐに救急ヘリで運ばれていきますが、暴風雨でヘリは研究施設に衝突。

そのため、研究施設は大爆発を起こしてシステムがダウンしたのです。さらに実験によって、知能を蓄えられたサメが実験場のガラスを破壊して、大量の水が研究施設に入ってきました。

ラッセルはサメたちが人間に逆襲しにきている事を察知して、スーザンに「サメに何をした?」と問い詰めます。ラッセルはハーバード盟約を破って、遺伝子療法で脳を大きくする実験を行なってしまった事を伝えました。

その実験のせいでサメの知能は飛躍的にアップしてしまったのです。ジャニスは、そんなスーザンを罵倒しますが、研究施設の者たちの運命は、どうなってしまうのでしょうか?

『スーザンのサメ実験を食い止めるチャンス』

ラッセルは責任者として、研究施設に乗り込みますが、その間にも実験は行われていたので、実験によって知的水準を高めたサメの逆襲を招いてしまいます。

暴れ始めたサメの前に、ラッセルたちは後手に回ってしまいますが、実は実験を止めるチャンスはありました。

それは、新聞に取り上げられた時に、まずは動物実験を完全に停止するべきでした。その後にサメ実験で問題がないのか?詳細に調べ上げてから、再開するべきか考えておけば、まだサメの暴走は止められたハズです。

ディープ・ブルー』と他の映画を比較

映画『ディープ・ブルー』の続編『ディープ・ブルー2』でも、知的水準を高めたサメが襲ってくるようになります。

しかし、現代のサメ映画のように非現実的な暴れ方をする訳でもないので、最後まで見ていられる感じがしますね。

下の内部リンクをタップ(クリック )したら、ディープ・ブルーシリーズの全作品の豆知識・キャスト・ストーリーなどを見られるので、良かったら参考にしてみて下さい。

www.akira-movies-drama.com

映画『ディープ・ブルー』のまとめ

引用:https://www.amazon.co.jp/

ディープ・ブルーを見た感想について、解説します。

映画『ディープ・ブルー』のオススメ層

違法な実験により、脳が大きくなったサメが暴れまわる映画なので、是非とも実験を行なっている研究家たちに見て欲しい映画ですね。

そして、海は危険がある事も伝えている映画なので、恋人同士で見て、海には危険がある事を知った上で海水浴して欲しい感じもします。

  • 研究家:⭐️⭐️⭐️⭐️⭐️
  • 恋人同士:⭐️⭐️⭐️⭐️
  • キッズ:⭐️⭐️
  • 若年層:⭐️⭐️⭐️⭐️
  • 中年層:⭐️⭐️⭐️⭐️
  • シニア層:⭐️⭐️⭐️

映画『ディープ・ブルー』の残念な所

スーザンが、最後の最後までサメ実験を反省していなかったので、見ていてドン引きしてしまう内容でした。しかし、ラストシーンの結末を見たら、やっぱりそうなってしまうのかと思ってしまいましたね(苦笑)。

映画『ディープ・ブルー』の見所

私は子供の頃に映画『ジョーズ』をTVで見た事があって、その迫力あるシーンでサメが暴れ出すアクション映画が好きになりました。そのため『ディープ・ブルー』を見るのを楽しみにしていましが、その迫力あるアクションシーンは見事でした。ただしディープ・ブルーは、アクションシーンだけではなく研究者スーザンの欲望とサメがぶつかり合う所も大きな見所です。

この映画を見ていたら、人間の病気を治すために動物実験する愚かしさを私たちに教えてくれます。確かにアルツハイマーに苦しんでいる方にしてみれば、必要な実験である事は分かるのですが、動物の痛みや怒りを私たち人間はもっと知る必要があるでしょう。