山川捨松の結婚は歴史の常識をくつがえすものだった?ドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』

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引用:https://www.tv-asahi.co.jp/tsudaumeko/

スペシャルドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』では、山川捨松の結婚が歴史の常識をくつがえすものだったので、その理由について詳しく紹介しましょう。

ドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』のキャスト

津田梅子〜お札になった留学生〜は、TV朝日で2022年3月5日に放送されました。

監督&脚本

登場人物&俳優

ドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』のストーリー

津田仙は、自分の娘の梅が、史上最年少でアメリカ合衆国へ留学できる事が決定したので、大喜びしますが、妻の初からは「でも梅は、まだ6歳ですよ」「何を言っている!留学したら、帰国した後は教育者として将来が保証されるんだ」

五人の少女たちは、アメリカ合衆国で留学する事になりますが、目の病気になる者や部屋にふさぎこみがちな者たちは1年足らずで帰国してしまいます。

他の少女は「私も帰国したい」と弱音を吐きますが、山川捨松は「私は一人になっても帰国しない。立派になってから帰国します」と言い切ってしまい、津田梅と一緒になり頑張って、11年も勉強し終わり日本へ帰国しました。

日本に戻ったら、女性が職につける学校は残っていなかった上に、夫婦間では妻が夫の言いなりになる姿があり、津田梅は辟易としてしまいます。

しかし、共に留学していた永井繁や山川捨松たちは、次々に結婚をしていくので「共に女性のための学校を作るんじゃなかったの!」と納得できません。

伊藤博文は、津田家に「梅さんに、住み込みでウチの妻や娘に英語を教えてやってくれませんか?」と頼んできたので、津田梅は、その仕事を引き受けます。

明治16年鹿鳴館が完成して、山川捨松は見事なダンスを披露する事になりました。

日本には女学院が出来ていっても、それは結婚をするさいにハクがつくと考えて、学びにくる生徒が多くて、津田梅は『何も変わっていない』と大いに憤ります。

そんな時に、頼りにしていた森有礼が暗殺されてしまい、津田梅は追い打ちをかけられる想いでした。

はたして、津田梅は日本の女性の地位を向上させられるのでしょうか?

『山川捨松の結婚は歴史の常識をくつがえすものだった』

引用:https://www.ndl.go.jp/portrait/datas/246/(山川捨松の画像)

鹿鳴館で、山川捨松(池田エライザ)達が見事なダンスをして、その美しさから『鹿鳴館の貴婦人』と言われました。

上の画像は、山川捨松の写真ですが、現代人が見ても、美しい方だと思いますね。

ところで、なぜ山川捨松の結婚は歴史の常識をくつがえすものだったのか?それは、山川捨松は会津藩の生まれだったのに、夫の大山巌薩摩藩出身だったからです。

歴史好きの方なら、もうピーンと来たと思いますが、かつて新政府(薩摩・長州)は会津城に猛攻をかけて、この戦で死んだ会津の者たちの骸(むくろ)は埋葬してはならぬという非情な命を下したのです。

この会津攻めに関わっていたのは、主に長州藩でしたが、西南戦争では多くの会津人が「薩賊、思い知れ!」と突撃していったほど、憎しみ合う間柄でした。

それなのに、会津出身の女性と、薩摩出身の男性が結婚するというのは、当時は凄い事だったでしょう。

実際に、会津の多くの人々は、この結婚に反対しましたが「相手は、女性を大事に考えている人なので、どんなに反対しても結婚します」と言い切ったのです。

結婚した後も、国に尽くして、アメリカの週刊誌や、ロンドンタイムスに寄稿して、日本の立場を世界に訴え、後の講話条約を有利に運ぶ事ができました。

その働きは、決して津田梅に劣らぬものだったと言えるでしょう。

ドラマ『津田梅子〜お札になった留学生〜』のまとめ

津田梅役の広瀬すずさんが、もじもじとした生徒たちに「もっと大きく!あなた達は何をしにきたのですか!?」と怒鳴ってしまう所は『ス、スパルタだ』と思ってしまいました(苦笑)。

池田エライザさんと広瀬すずさの共演の作品を見るのは初めてでしたが、かなり豪華なタッグでしたね。佐久間由衣さんも、ドラマ『おいハンサム!!』で活躍した女優さんでしたし、とにかく女優陣が豪華な顔ぶれでした。

内田有紀さんも、夫と娘の間で苦労する演技をしていましたが、なかなか内容の濃いドラマでした。1話で終わるのがもったいないぐらいでしたが、1話だったからこそ、ここまで内容が濃くて、凝縮されたドラマになったのでしょう。