大河ドラマ『どうする家康 第29話』では、百地丹波(嶋田久作)が、徳川家康の首を取ろうとしますが、実は豊臣秀吉を苦しめた男の師匠だったのです。
そこで、誰の師匠だったのか?詳しく紹介するので、参考にしてみて下さい。
大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト
どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。
徳川家
- 徳川家康(演:松本潤)のちの徳川家康
- 徳川信康(演:細田佳央太)徳川家康と築山殿の嫡男
- 松平広忠(演:飯田基祐)竹千代の父で、家臣の裏切りにあう
- 於大の方(演:松嶋菜々子)徳川家康の母
- 築山殿-瀬名(演:有村架純)松平元康の妻になり、歴史上では悪女と評される
- お葉(演:北香那)徳川家康の側室で、督姫を産む
- お万(演:松井玲奈)徳川家康の側室で、結城秀康を産む
- 亀姫(演:當真あみ)徳川家康と築山殿の娘で、奥平信昌に嫁ぐ
- 於愛の方(演:広瀬アリス)徳川家康の側室で、徳川秀忠たちを産む
- 登与(演:猫背椿)徳川家康の叔母で、酒井忠次の妻となる人物
- 酒井忠次(演:大森南朋)徳川四天王の筆頭で、柴田勝家を撃退した程の重臣
- 本多忠勝(演:山田裕貴)徳川四天王の一人で、徳川家の随一の猛将
- 榊原康政(演:杉野遥亮)徳川四天王の一人で、武田軍を翻弄する知将
- 井伊直政(演:板垣李光人)徳川四天王の一人で、井伊の赤備えは特に有名
- 鳥居元忠(演:音尾琢真)徳川家の忠臣で、伏見城を死守しようとする武将
- 大久保忠世(演:小手伸也)徳川家の重臣で、武田信玄から一目置かれる武将
- 平岩親吉(演:岡部大)松平信康の傅役(もりやく)
- 鳥居忠吉(演:イッセー尾形)松平家の老臣で、竹千代を支える武将
- 服部半蔵 -正成(演:山田孝之)徳川家康のもとで、忍びの仕事を引き受ける武将
- 石川数正(演:松重豊)豊臣家へ謎の出奔をする重臣
- 本多正信(演:松山ケンイチ)徳川家の随一の知将として知られる武将
- 夏目広次(演:甲本雅裕)三方ヶ原の戦いで、徳川家康の身代わりになる忠臣
- 本多忠真(演:波岡一喜)三方ヶ原の戦いで、奮戦する武将
- 渡辺守綱(演:木村昴)今川家との戦いで奮戦して『槍半蔵』と恐れられる武将
- 大鼠(演:千葉哲也)服部半蔵に使える忍び
- 女大鼠(演:松本まりか)大鼠の娘
- 久松長家(演:リリー・フランキー)桶狭間の戦いの後に松平家に従う
- 松平昌久(演:角田晃広)桶狭間の戦いで討ち死にする武将
- 山田八蔵(演:山田重英)徳川の忠義を貫く家臣
- 大岡弥四郎(演:毎熊克哉)徳川を裏切る逆臣
今川家
- 今川義元(演:野村萬斎)東海一の弓取りと評される駿遠三の大大名
- 今川氏真(演:溝端淳平)松平元康の才覚に嫉妬する今川義元の後継
- お田鶴(演:関水渚)今川義元の義妹で、瀬名の盟友
- 糸(演:志田未来)三国同盟のために、今川氏真に嫁ぐ人物
- 関口氏純(演:渡部篤郎)瀬名姫の父で、今川家の悲劇の武将として知られる
- 巴(演:真矢ミキ)関口氏純の妻で、一説には今川義元の妹として知られる
- たね(演:豊嶋花)瀬名の侍女
- 鵜殿長照(演:野間口徹)今川家の西進作戦で功績をあげる重臣
織田家
- 織田信長(演:岡田准一)徳川家康と同盟を結ぶが魔王と恐れられる革命児
- 織田信秀(演:藤岡弘)織田信長の父であり、今川や斎藤と争うほどの大名
- お市(演:北川景子)織田信長の妹で、戦国一の美女と評される
- 五徳-督姫(演:久保史緒里)織田信長の娘で、徳川信康に嫁ぐ
- 藤吉郎(演:ムロツヨシ)機転が利く男であり、のちの豊臣秀吉
- 柴田勝家(演:吉原光夫)織田四天王の一人で、甕割り柴田の異名を持つ
- 明智光秀(演:酒向芳)織田四天王の一人だが、謎の謀反を起こす
- 佐久間信盛(演:立川談春)織田信長に反論して、恨まれる重臣
武田家
- 武田信玄(演:阿部寛)武田騎馬軍団を率いて、徳川家康を苦しめる大名
- 武田四郎勝頼(演:眞栄田郷敦)武田信玄の後継者
- 山県昌景(演:橋本さとし)武田家、随一の猛将
- 穴山梅雪-信君(演:田辺誠一)徳川・織田連合軍の内応に従う裏切り者
その他
- 浅井長政(演:大貫勇輔)北近江の戦国大名で、妻はお市の方
- 水野信元(演:寺島進)徳川家康の叔父にあたる大名
- 登譽上人(演:里見浩太朗)徳川家の旗印となる言葉をさずける住職
- 空誓上人(演:市川右團次)三河の一向一揆を引き起こす僧侶
- 千代(演:古川琴音)空誓上人に協力する謎の人物
- 茶屋四郎次郎(演:中村勘九郎)本能寺の変を徳川方に知らせた人物
- おふう(演:天翔愛)奥平貞昌の妻で、武田方によって処刑される人物
大河ドラマ『どうする家康 第29話』のストーリー
羽柴秀吉は、弟の秀長から「上様を討ったのは、徳川家康ではなく、明智光秀じゃ」「明智?……それで、家康は今、どこに」「わずかな手勢と共に、堺見物をしているようで」
その言葉を聞いて、羽柴秀吉は「それは死んだな」と不敵な笑みを浮かべてしまうのです。
徳川家康は、本能寺の変を知った後、すぐに穴山梅雪と別行動をして、堺から岡崎を目指して、必死の逃避行を続けて行きました。
服部半蔵たちが加勢に来て「殿、すぐに岡崎へ帰るには、伊賀を超えるしかありませぬ」と進言されますが、かつて、織田信長は伊賀で相当の殺戮を行った事があったのです。
徳川家康の重臣たちは「大丈夫なのか?」と心配されますが、途中で多羅尾光俊や伴与七郎たちと出会います。
二人は「伊賀を超えて大丈夫ですかのぉ?」と伊賀越えを心配されますが、食事まで用意してもらった上に、別ルートを進言されます。
服部半蔵は「あまりにも親切がすぎます」と進言するので、徳川家康は夜更け過ぎに置き手紙だけを残して、伊賀を越そうとしました。
多羅尾光俊は、置き手紙を見て「無事に三河へ戻ったら、褒美をくださるとじゃと」とつぶやくと、伴与七郎は「伊賀を通ったら、それも無理でしょう」と呆れてしまいます。
徳川家康は、百地丹波に捕まり処刑されそうになる所でしたが、本多正信が仲介してくれたお陰で何とか、岡崎まで、たどり着く事ができました。
『百地丹波(嶋田久作)は豊富秀吉を苦しめた男の師匠』
伊賀の百地丹波(嶋田久作)は、実は石川五右衛門の師匠という説があります。
参照元:https://serai.jp/hobby/1141118/2
石川五右衛門は、悪行の限りを尽くして、釜茹での刑にされたと言われていますが、その一方で、豊臣秀吉の暗殺を狙っていたという説もあるのです。
なぜ、石川五右衛門が豊臣秀吉の首を狙ったのか?それは豊臣秀次が、親戚の秀吉から処刑されようとしていたので、石川五右衛門に暗殺を託した可能性があったからです。
真相は、よく分かっていませんが、百地丹波が並々ならぬ男だった事だけは確かなようですね。