百地丹波(嶋田久作)は豊富秀吉を苦しめた男の師匠だった!大河ドラマ『どうする家康 第29話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第29話』では、百地丹波嶋田久作)が、徳川家康の首を取ろうとしますが、実は豊臣秀吉を苦しめた男の師匠だったのです。

そこで、誰の師匠だったのか?詳しく紹介するので、参考にしてみて下さい。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

今川家

 

織田家

武田家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第29話』のストーリー

羽柴秀吉は、弟の秀長から「上様を討ったのは、徳川家康ではなく、明智光秀じゃ」「明智?……それで、家康は今、どこに」「わずかな手勢と共に、堺見物をしているようで」

その言葉を聞いて、羽柴秀吉は「それは死んだな」と不敵な笑みを浮かべてしまうのです。

徳川家康は、本能寺の変を知った後、すぐに穴山梅雪と別行動をして、堺から岡崎を目指して、必死の逃避行を続けて行きました。

服部半蔵たちが加勢に来て「殿、すぐに岡崎へ帰るには、伊賀を超えるしかありませぬ」と進言されますが、かつて、織田信長は伊賀で相当の殺戮を行った事があったのです。

徳川家康重臣たちは「大丈夫なのか?」と心配されますが、途中で多羅尾光俊や伴与七郎たちと出会います。

二人は「伊賀を超えて大丈夫ですかのぉ?」と伊賀越えを心配されますが、食事まで用意してもらった上に、別ルートを進言されます。

服部半蔵は「あまりにも親切がすぎます」と進言するので、徳川家康は夜更け過ぎに置き手紙だけを残して、伊賀を越そうとしました。

多羅尾光俊は、置き手紙を見て「無事に三河へ戻ったら、褒美をくださるとじゃと」とつぶやくと、伴与七郎は「伊賀を通ったら、それも無理でしょう」と呆れてしまいます。

徳川家康は、百地丹波に捕まり処刑されそうになる所でしたが、本多正信が仲介してくれたお陰で何とか、岡崎まで、たどり着く事ができました。

百地丹波嶋田久作)は豊富秀吉を苦しめた男の師匠』

伊賀の百地丹波嶋田久作)は、実は石川五右衛門の師匠という説があります。

参照元https://serai.jp/hobby/1141118/2

石川五右衛門は、悪行の限りを尽くして、釜茹での刑にされたと言われていますが、その一方で、豊臣秀吉の暗殺を狙っていたという説もあるのです。

なぜ、石川五右衛門豊臣秀吉の首を狙ったのか?それは豊臣秀次が、親戚の秀吉から処刑されようとしていたので、石川五右衛門に暗殺を託した可能性があったからです。

真相は、よく分かっていませんが、百地丹波が並々ならぬ男だった事だけは確かなようですね。

大河ドラマ 『どうする家康 第29話』のまとめ

第29話では、百地丹波嶋田久作)が登場しますが、徳川家康は何とか伊賀越えをして、岡崎へ戻れました。

今後は、羽柴秀吉柴田勝家と戦っていく事になりますが、そろそろ真田も出て来そうなので楽しみですね。