もう一つの蜘蛛の巣とは何か詳しく紹介!大河ドラマ『どうする家康 第42話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第42話』で、石田三成関ヶ原に指をさして「もう一つの蜘蛛の巣を張っておく」と言いました。

この「もう一つの蜘蛛の巣」とは、どのようなものか詳しく紹介するので、参考にしてみて下さい。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

豊臣家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第42話』のストーリー

石田三成が挙兵してしまい、東軍は上方に戻ろうとしますが、真田家で徳川に駆けつけたのは、真田信之だけでした。

本多忠勝は「そなた一人だけか?」と聞くと「はっ、父・昌幸と弟・信繁はこちらのほうにはつきませぬ、申し訳ございませぬ」「婿殿、遠慮せず、娘は捨ててよいのだぞ」

その言葉に、真田信之は戸惑いますが、井伊直政から「真田全てがむこうについたら、我らは囲まれます」と口添えして、本多忠勝は考えを改めて「婿殿、よくぞ来てくれた。今は体を休めてくれ」

真田信之は「はっ」と、さがっていくと、徳川秀忠は「一人かぁ」と残念そうにうなってしまいます。

その頃、真田昌幸・信繁たちは、少しでも城を取っておこうとしますが、留守を預かっていた稲姫は「我が夫がいない間は、たとえ父上でも、ここは通しませぬ」と言い放ちます。

真田昌幸は「ふっ…さすが、本多忠勝の娘じゃ」とつぶやき、孫の顔だけ見ると、諦めて退軍していきました。

徳川家康は、小山評定を開き、豊臣恩顧の者たちに檄を飛ばして、一致団結させて上方に戻る事にして、徳川秀忠に「お前は、3万の兵で真田を従わせよ」と命じます。

伏見城は、鳥居元忠が家臣と共に壮絶な討ち死にをしてしまい、その知らせは江戸城まで届きますが、徳川家康は多くの書状を書き続けて、少しでも多くの大名を味方にしようとしました。

その代わり、本田忠勝・井伊直政たちが先に出陣して、福島正則たちは岐阜城を落としました。このままでは、徳川本軍が出ないうちに決戦になりそうなので、ついに徳川家康も出陣します。

その頃、徳川秀忠は、真田軍と戦っていましたが、徳川家康の使者が来るのが遅れてしまい「すぐに上方へ戻るように」という命令を聞くのが遅れてしまいました。

石田方の武将は「徳川は、真田の蜘蛛の巣にかかったようですな」と笑みを浮かべると、石田三成関ヶ原の地図を指差して「それでは、もう一つの蜘蛛の巣を張っておく」とつぶやくのです。

『もう一つの蜘蛛の巣とは何か詳しく紹介』

石田三成は、関ヶ原にも蜘蛛の巣を貼ろうとしますが、それは『西軍による鶴翼の陣』です。

鳥の翼が広がるような陣形であり、かつて、武田信玄が第4次川中島の合戦で使い、徳川家康三方ヶ原の戦いで使った陣形でした。

徳川家康は、この鶴翼の陣に囲まれるような所に陣を張ってしまい、袋の鼠となってしまい、まるで蜘蛛の巣にはまったようでした。

これこそ、石田三成が画策した「もう一つの蜘蛛の巣」だったのでしょう。

のちに、ドイツ陸軍将校・クレメンス・メッケルは、関ヶ原合戦における陣形をみて、即座に「西軍の勝ち」と即答した事から、いかに鉄壁の陣だったか?よく分かるエピソードです。

しかし、二つの翼が機能しなければ、鶴翼の陣は威力を発揮しません。

調略に応じた吉川広家が毛利軍を足止めさせて、小早川秀秋はどちらにつくのか悩んでしまい、石田三成は苦戦をしいられてしまうのです。

大河ドラマ 『どうする家康 第42話』のまとめ

第42話では、稲姫が真田親子を退かせたり、小山評定が出たりして、かなりの見せ場が終わっていきましたね。

しかし、淀君豊臣秀頼を出馬させず、毛利輝元大阪城に入れたままにしておいたのは、致命的な失態でした。

石田三成は、関ヶ原に、もう一つの蜘蛛の巣を張りますが、それは不完全なものであり、徳川家康のしたたかな調略が威力を発揮する事になりそうですね。