乱世を鎮めるよりも太平の世を築くほうが難しい理由!大河ドラマ『どうする家康 第27話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第27話』で、織田信長が「乱世を鎮めるよりも、太平の世を築くほうが難しい」と言いました。

なぜ、天下を鎮めるよりも、太平の世を築くほうが難しいのか?その理由について紹介しましょう。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

今川家

 

織田家

武田家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第27話』のストーリー

徳川家康は、織田信長の前で、えびすくいの踊りを披露してしまい、家臣たちが妻子を死に追い込まれておきながら、こびへつらう主君の姿を見るにたえて憤慨してしまいます。

夜になり、家臣たちは密かに集まり、徳川家康に「何を考えておられるのか、心のうちをお聞かせくだされ、そうでなければ、これ以上、殿についていけませぬ」

「そうじゃな、いい頃合いだと思っていた。わしは信長を殺す」

その言葉を聞いて家臣は愕然としてしまいますが、羽柴秀吉は中国攻め・柴田勝家は北国攻めで、有力な家臣たちは各地に散らばり転戦して、機内は戦力がほとんどいない状況でした。

家臣たちは「問題は、機内にいる明智光秀じゃ」と懸念を示しますが、徳川家康は「それを遠くにやる策がある」と意味深な言葉をつぶやきます。

織田信長は、自分をもてなしてくれた徳川家康に返礼の印として、安土でもてなすと約束してくれたので、徳川家康は多くの重臣たちと一緒に、安土へ向かいました。

ところが、そこで饗応役(きょうおうやく)の明智光秀が、用意した淀の鯉が膳で運ばれると、徳川家康は鼻をくんくんと、何やら臭うような仕草を見せます。

織田信長は、食べるのを辞めさせると、明智光秀が言い訳をしようとして、烈火のごとく怒り、叩きのめしてしまいます。

明智光秀は饗応役を解任されて、中国攻めに加わる事になり、織田信長はわずか100ぐらいの供で本能寺に入りました。

徳川家康は、その知らせを聞いて「できる、わしはやってみせる。信長を討つ。わしが、天下を取る」と決意しますが、はたして上手くいくのでしょうか?

『天下を鎮めるよりも太平の世を築くほうが難しい理由』

織田信長は、天下を鎮めるよりも太平の世を築くほうが難しいと言っていましたが、実際に豊臣秀吉の天下は長く続かず、明治維新の時も幕府を滅ぼしても身内の争いが絶えませんでした。

なぜ、天下を鎮めるよりも、太平の世を築くのが、ここまで難しいのか?それは、天下統一とうい目標を達成するまでは、多くの者たちが同じ目標に向かって、争いが起きづらくなるからです。

しかし、天下が統一されてしまえば、目標を無くして、やがて自分のほうが手柄をたてたと騒ぎ出して、内部から争いが起きやすくなります。

織田信長のように、よほど部下に苛烈な仕打ちをしない限りは、天下が定まるまで、内部崩壊する可能性は極めて低いのです。

織田信長は、多くの争いを見てきたので、それを知っていましたが、豊臣秀吉はあとの事をあまり考えられずに亡くなってしまいました。

徳川家康は、織田信長豊臣秀吉の一生を近くで見ていたので、乱世を鎮めた後に、力のある大名を遠方へ飛ばして、多くの法を作り、太平の礎を築き上げました。

さらに言えば、織田信長は朝廷にも目を光らせていたので、朝廷との関わり合いも、乱世を鎮めるのに困難を極めるものと思っていたのでしょう。

そうった事を考えれば、太平の世を築くのが難しい理由としては、功労者の反乱を防ぐ事と、朝廷との関わり合いと言えますね。

大河ドラマ 『どうする家康 第27話』のまとめ

第27話では、乱世を鎮める事よりも、太平の世を築くほうが難しいと打ち明けていましたが、この言葉が徳川家康に与えた影響が大きいという風に、ストーリーが展開されていきそうですね。

次回は、いよいよ本能寺の変が起きるので、どうなっていくのか期待しましょう。