於義伊(おぎい)が徳川家康の後継者になれなかった理由!大河ドラマ『どうする家康 第33話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第33話』で、徳川家康の次男・於義伊(おぎい)が豊臣家の養子になりますが、なぜ信康の亡くなった後に、後継者になれなかったのでしょうか?

多くの方たちが疑問に感じていると思うので、その理由について紹介しましょう。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

今川家

 

織田家

武田家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第33話』のストーリー

織田信雄は、羽柴秀吉から「わしは、弓矢を向けるのは、本当につろうございましたぁ」と言われてしまった上に、本領を安堵する甘い約束に釣られて、勝手に和議を結んでしまいました。

この知らせは、徳川家にすぐ届いてしまい、徳川家康は「勝手な事を!」と憤慨してしまいます。

羽柴秀吉は、人質では、響きが悪いから、子供を私の養子として寄越すように要求してしまい、石川数正はそれを主君に伝える事になってしまいました。

徳川家康は仕方なく、お万との間に生まれた於義伊を送る事にしましたが、羽柴秀吉は攻勢を緩める事もなく、使者としてやってきた石川数正に「今度は、人質をよこすように」と要求とします。

「わが主君は、和議をしたのであって、臣下の礼を取ったのではありませぬ」「そんな我がままを言うてはならん。わしはもう関白。天子様の代わりで、全ての大名はわしの家臣じゃ」

張り詰めた空気になってしまう中、羽柴秀吉「もしも、逆らったら、三河遠江は焼け野原になるぞ」

「そのような事を言うてはなりませぬ」という声がいきなり聞こえてきたので『誰だ?』と思ったら、そこに現れたのは、羽柴秀吉正室・寧々(ねね)でした。

寧々は、元百姓として、言うてはならぬでしょうとクギをさしてきて、羽柴秀吉は「そうじゃった」と頬を緩めて、羽柴秀長は「そろそろ、乱世を終わらせて、鎧を捨てる時ではありませぬか?」

見事な緩急をつかれてしまい、石川数正は、領国に戻り、徳川家康に豊臣家に臣下の礼を取る事を進めると、周りの家臣から「裏切ったか!」と罵られてしまいます。

石川数正は、もう主君との間を元に戻す事ができぬと観念をして、妻子や家臣たちと共に豊臣家へ出奔してしまいました。

『於義伊(おぎい)が徳川家康の後継者になれなかった理由』

於義伊(おぎい)は、徳川家康の次男でありながら、なぜか、長男・信康が切腹した後でも、後継者になる事はありませんでした。

代わりに、徳川家康の後継者になったのは、三男・秀忠でした。

のちに、徳川家康は三代将軍を誰にするべきかという時に、兄のほうが後継者になるべきという理由で、家光を後継者にするように、秀忠に迫ります。

それなのに、徳川家康が、於義伊を後継者にしなかったのは、秀忠の母のほうが身分が高かかった上に、寵愛していたのが大きかったのです。

あまりにも、悲しい話ではありますが、そういった理由から、於義伊は後継者になれず、秀忠が徳川二代将軍になっていきました。

大河ドラマ 『どうする家康 第33話』のまとめ

第33話では、於義伊(おぎい)を豊臣家の養子に差し出しますが、徳川家康にとっては、あまり痛くもかゆくもなかったかもしれません。

実際に、徳川家康は於義伊(おぎい)をあまり寵愛していなかった事があるので、この息子であればという思いもあったのでしょう。

それほど、母親の身分に違いがあり、秀忠の母・於愛の方を寵愛していたのが、大きかったのでした。

しかし、平和な時代になった後では話が違ってくるので、後継者争いが起きないように、兄のほうが後継者にするように制度を変えていったのでしょう。