秀吉の母が人質になっても戦を無くさないのは豊臣家に弱点があった為!大河ドラマ『どうする家康 第34話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第34話』で、豊臣秀吉が母さえも人質に出しておきながら、次回予告で「戦が無くなる事はねぇ」と言ってしまいました。

実は、豊臣秀吉が戦を無くそうとしなかったのは、豊臣家に大きな弱点があった為なので、その弱点について紹介しましょう。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

今川家

 

織田家

武田家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第34話』のストーリー

徳川家では、石川数正が裏切った事により、激しい動揺が走ってしまい、井伊直政は特にいきりたってしまいますが、徳川家康は「去った人間を気にしても仕方あるまい」と言い放ちました。

本多正信は「これで、わが軍法が秀吉に筒抜けになってしまいました。いっその事、武田の軍法に変えてみては?」と進言すると、井伊直政が、その役目を引き受ける事になったのです。

もはや、豊臣の大軍勢が徳川の領土に侵入するのは目前かと思われた、天正13年11月29日、大きな地震が襲いました。

世に言う『天正地震』でしたが、この被害は徳川の領土よりも、豊臣の領土のほうが、被害は甚大でした。

寧々は「もはや、戦どころではありません。今は民を救って立て直さねば、足元から崩れます」と言うと、豊臣秀吉は「分かっておるわ、それにしても、悪運の強い奴だわ」

しかし、豊臣秀吉は、妹の旭姫を、徳川家康に嫁がせて、次は母さえも人質に出そうとします。

これを断ったら、次こそ戦になる所でしたが、徳川家康は旭姫に「今まで、おどけて、両家の橋渡しになろうとして、すまなかった」と頭を下げながらお礼を言うのです。

徳川家康は、ついに上洛を決断しますが、これで悲願だった天下泰平を実現できるのでしょうか?

『秀吉の母が人質になっても戦を無くさない理由』

豊臣秀吉は、妹や母さえも人質にして、徳川家康を屈服させますが、それでも戦を辞めようともせず、北条家を滅ぼして天下統一した後に、明国(中国)さえも屈服させようとしました。

なぜ、豊臣秀吉が戦を無くそうとしなかったのか?それは、豊臣家に大きな弱点があったからです。

それは、豊臣家は、もとは百姓上がりの藤吉郎が作り上げた政権であり、織田や徳川のような、古参の重臣がいなかったのです。

豊臣秀吉は、多くの家臣たちをつなぎとめるには、多くの領土を分け与えるしかないと思っていて、そのためには戦を続けて、相手から領土をぶんどり、家臣に与えるしかないと思っていました。

天下統一した後は、いよいよ、これ以上、分け与える領土がないと思って、海外にまで進出を企てた訳ですが、これが豊臣家にトドメをさす事になる訳です。

大河ドラマ 『どうする家康 第34話』のまとめ

第34話では、徳川家康が旭姫に頭を下げますが、史実ではどうだったのか?それは分からない所ですが、あそこで臣下の礼を取れる所が、徳川家康のすごい所でした。

徳川家康は家臣になりながら、力を蓄えて、逆襲の機会をうかがって、ついには江戸幕府を開くに至ります。

現代の政治家は、少しは徳川家康を見習って欲しいものですね。