大河ドラマ『どうする家康 第44話』では、豊臣秀頼が19歳になると、徳川家康が「時は満ちた」と言って、ようやく動き出しました。
なぜ、徳川家康は、豊臣秀頼が19歳になるまで、動こうとしなかったのか?その理由について詳しく紹介しましょう。
大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト
どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。
徳川家
- 徳川家康(演:松本潤)豊臣秀吉の家臣になる大大名
- 徳川信康(演:細田佳央太)徳川家康と築山殿の嫡男で切腹してしまう
- 松平広忠(演:飯田基祐)竹千代の父で、家臣の裏切りにあう
- 於大の方(演:松嶋菜々子)徳川家康の母
- 築山殿-瀬名(演:有村架純)徳川家康の元正室で、お家のため命を落とす
- 阿茶局(演:松本若菜)徳川家康の側室
- お葉(演:北香那)徳川家康の側室で、督姫を産む
- お万(演:松井玲奈)徳川家康の側室で、結城秀康を産む
- 亀姫(演:當真あみ)徳川家康と築山殿の娘で、奥平信昌に嫁ぐ
- 於愛の方(演:広瀬アリス)徳川家康の側室で、徳川秀忠たちを産む
- 登与(演:猫背椿)徳川家康の叔母で、酒井忠次の妻となる人物
- 酒井忠次(演:大森南朋)徳川四天王の筆頭で、柴田勝家を撃退した程の重臣
- 本多忠勝(演:山田裕貴)徳川四天王の一人で、徳川家の随一の猛将
- 榊原康政(演:杉野遥亮)徳川四天王の一人で、武田軍を翻弄する知将
- 井伊直政(演:板垣李光人)徳川四天王の一人で、井伊の赤備えは特に有名
- 鳥居元忠(演:音尾琢真)徳川家の忠臣で、伏見城を死守しようとする武将
- 大久保忠世(演:小手伸也)徳川家の重臣で、武田信玄から一目置かれる武将
- 平岩親吉(演:岡部大)松平信康の傅役(もりやく)
- 鳥居忠吉(演:イッセー尾形)松平家の老臣で、竹千代を支える武将
- 服部半蔵 -正成(演:山田孝之)徳川家康のもとで、忍びの仕事を引き受ける武将
- 石川数正(演:松重豊)豊臣家へ謎の出奔をする重臣
- 本多正信(演:松山ケンイチ)徳川家の随一の知将として知られる武将
- 夏目広次(演:甲本雅裕)三方ヶ原の戦いで、徳川家康の身代わりになる忠臣
- 本多忠真(演:波岡一喜)三方ヶ原の戦いで、奮戦する武将
- 渡辺守綱(演:木村昴)今川家との戦いで奮戦して『槍半蔵』と恐れられる武将
- 大鼠(演:千葉哲也)服部半蔵に使える忍び
- 女大鼠(演:松本まりか)大鼠の娘
- 久松長家(演:リリー・フランキー)桶狭間の戦いの後に松平家に従う
- 松平昌久(演:角田晃広)桶狭間の戦いで討ち死にする武将
- 山田八蔵(演:山田重英)徳川の忠義を貫く家臣
- 大岡弥四郎(演:毎熊克哉)徳川を裏切る逆臣
- 稲姫(演:鳴海唯)本多忠勝の娘
- 渡辺半蔵守綱(演:木村昴)槍の半蔵と言われた人物
- ウィリアム・アダムス(演:村雨辰剛)最初に侍の称号を得た西洋人
豊臣家
- 豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)農民出身でありながら、関白にのぼりつめる男
- 淀君(演:北川景子)お市の方の娘であり、豊臣秀吉の側室
- 豊臣秀長(演:佐藤隆太)豊臣秀吉の弟で、大和大納言の異名を持つ
- 上杉景勝(演:津田寛治)五大老の一人で、奥羽の大大名
- 直江兼続(演:TAKAHIRO)上杉景勝の軍師で、直江状で有名
- 毛利輝元(演:吹越満)五大老の一人で、中国地方の大大名
- 宇喜多秀家(演:栁俊太郎)五大老の一人で、西軍として奮戦する大大名
- 前田利家(演:宅麻伸)豊臣秀吉の盟友
- 寧々(演:和久井映見)豊臣秀吉の正室で、良妻賢母として慕われる人物
- 大政所(演:高畑淳子)豊臣秀吉の母で、秀吉の野心を心配してしまう
- 旭(演:山田真歩)豊臣秀吉の妹で、徳川家康に嫁ぐ女性
- 石田三成(演:中村七之助)豊臣家の切れ者として知られる人物
- 石川数正(演:松重豊)徳川家から豊臣家へ出奔をする人物
- 浅野長政(演:濱津隆之)豊臣秀吉にきつく進言する忠臣
- 大谷吉継(演:忍成修吾)石田三成の盟友
その他
- 昌山-足利義昭(演:古田新太)室町幕府の最後の元将軍
- 真田昌幸(演:佐藤浩市)信濃の上田城城主
- 真田信之(演:吉村界人)真田昌幸の嫡男
- 望月千代(演:古川琴音)武田の元間者
- 織田信勝(演:浜野謙太)織田信長の次男であり、現在は豊臣家に従う
- 北条氏政(演:駿河太郎)北条家の4代目の当主
- 北条氏直(演:西山潤)北条家の5代目の当主で、氏政の嫡男
- おふう(演:清乃あさ姫)徳川家康の次女であり、北条氏直の妻
大河ドラマ『どうする家康 第44話』のストーリー
関ヶ原の合戦が終わり、徳川家康は征夷大将軍となり、江戸幕府が開き、新たな時代が始まろうとしていました。
徳川家康のもとに、孫の千姫がやってきて「じじ様、千は、大阪へ行きとうありませぬ」と言ってきたので、驚きますが、そこに義理の娘・お江もやってきました。
「申し訳ありませぬ、父上」と謝りますが、千は「あそこは恐ろしゅうございます」と訴えるので「何が怖い?そなたの母の姉さまの家ですぞ」
徳川家康は、孫には優しく接してあげたのに、千姫が大阪へ行った後に、秀忠が「千は、うまくやっておるでしょうか?」と言ってきたら「最初に心配するのが、自分の娘か?」と叱責します。
「私は、両家のことを心配して」「お前は、関ヶ原から、何も成長していない」「あれは、榊原や本多も」「人のせいにするな!お前のせいじゃ」
秀忠が立ち去った後に、徳川家康のもとに、榊原康政がやってきて「この康政、最後の諫言を致します。皆の前で、あのように叱りつけたら、秀忠様の誇りを傷つけます」
「殿もあのぐらいの年頃は、どれだけ頼りなかったか」「しかし、お前たちがいてくれた。秀忠を叱りつける者が他にいるか?」
徳川家康は、豊臣恩顧の大名たちが再び、秀頼のもとに団結しつつある事を憂慮していました。
しかし、徳川秀忠がようやく、関ヶ原の遅参は自分に責任がある事を認めると、皆の前で、徳川家康は「世の中は理不尽な事だらけよ。事がうまくいけば家臣を讃えよ、事がうまくいかない場合は自分が責任をおえ」
そう言って、徳川家康は、1年後、征夷大将軍を秀忠に譲る事を明言して『私が、将軍に?』と驚かれます。
しかし、大阪では、淀君が「将軍職を息子にゆずるという事は、徳川の天下にするつもりか!」と激怒してしまうのです!
『豊臣秀頼が19歳になるまで徳川家康が動かなかった理由』
徳川家康は、関ヶ原の合戦が終わってから、豊臣を滅ぼすまで14年もかけました。
そして、豊臣秀頼が19歳になるまで動かなかったのは、ゆっくりと時間をかけて、大名たちの力をそぐ必要があったからです。
徳川家康は、天下普請を行い、江戸城(江戸)・駿府城(駿河)・名古屋城(尾張)・高田城(越後)・丹波亀山城(京)など、数多くの城を大名たちに作らせて、力をそぎました。
さらに、これらの城は、江戸城から、大阪城を攻めるための準備であり、江戸の街を開拓する時間を必要だったと考えられます。
さらに、朝廷への工作にも時間をかけて、ゆっくりと征夷大将軍になり、次に秀忠に将軍職をゆずり、大名たちに徳川に忠誠を誓わせる必要があったので、時間が必要でした。
そして、豊臣秀頼が若年であれば、挑発しても、動かなかった可能性がありますが、大人になれば、豊臣方も強気になって応戦するはずという計算もあったと考えられます。
そういった色々な計算があって、徳川家康は豊臣秀頼が19歳になるまで動こうとしなかったのでしょう。
大河ドラマ 『どうする家康 第44話』のまとめ
第44話では、老練な徳川家康らしい振る舞いが見えて、満足できる内容でした。あんなに時間をかけて、途中で病気で亡くなったら、どうするつもりだったのかと思う方は多いかもしれません。
しかし、徳川家康は健康オタクとも言えるほど、健康に気を使い、自分で薬を作っているほどだったので、長生きする自信があったのでしょう。
これから、徳川家康がどのようにして、豊臣を追い詰めていくのか?期待したいですね。