徳川家光が白兎を描けた理由を詳しく紹介!大河ドラマ『どうする家康 第48話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第48話』では、なぜか徳川家光が、白兎を書いて、祖父の家康にささげます。

なぜ、徳川家光は、家康の事が白兎と知っていたのか?詳しく紹介しましょう。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

豊臣家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第48話』のストーリー

徳川家康は、再び大阪城を攻める事になり、豊臣は応戦する事になります。しかし、全ての掘を無くした大阪城は最早、城と呼べるものではありませんでした。

千姫は、豊臣秀頼や茶々を助けてもらおうとして、徳川の本陣へ向かいますが、無常にも徳川家康は孫娘の命乞いを聞かず、攻撃をやめようとしません。

千姫は家臣たちによって、相良されてしまい「離せ、離せぇ」という叫び声だけが、こだましました。

大阪城は炎に包まれる中、豊臣秀頼切腹して、大野治長によって介錯をされて、命をとしました。

家臣たちは次々に殉死をしていき、茶々は「日の本は、随分とつまらない国になった」と叫びながらも、天を仰ぎ「茶々は……よう、やりました」とつぶやき、自害!

徳川家康は落城する大阪城に向けて、静かに手を合わせて、100年以上も続いた地獄の戦国乱世が終わりました。

日の本に太平の世が訪れると、天海は少しでも徳川家康を素晴らしき人物のように語り継がせようとしてしまい、徳川秀忠から「天海、あまりにもよくしようとするのは」と心配されるほどでした。

1616年4月17日、徳川家康はかなり高齢になりながらも、小刀で木彫りを作っていると「殿……殿」と女性が声をかけてきました。

徳川家康「…瀬名」と驚きますが、そこに徳川信康もやってきて「もう隠くないでもようございましょう。父上、ついに太平の世を成し遂げられましたな」

瀬名は「あなたであれば、成し遂げられると思うておりました。立派でございました」と褒めますが「何も立派な事ではなくて、ただの人殺しじゃ。したくもない事をして」

しかし、若い時に、瀬名との間に生まれた嫡男が祝言する時に、家臣が「えびすくぅい、えびぃすくい!」と祝っている事を思い出します。

瀬名と「いつか太平の世が来るかもしれぬのぅ」と語り合っていましたが、そんな世がついに訪れて、徳川家康は神の君と呼ばれるようになり、その太平の世は260年も続く事になるのです。

徳川家光が白兎を描けた理由を詳しく紹介』

徳川家康は、汚いやり方で豊臣を滅ぼしてしまい、周りから『狸』呼ばわりされたり、恐ろしい御仁のように噂されていました。

そのため、天気は江戸時代が長く続けるように、少しでも徳川家康をよく語り継がせるようにします。

ところが、徳川家光は『白兎』をなぜか描いて、祖父にささげてきました。

徳川家康が、白兎と知っていたのは、お愛の方が、息子・秀忠に「あなたの父は、昔は白兎と言われていたのよ」と言って、自信をつけさせようとしたのではないでしょうか?

その話が、徳川家光にまで語り継がれて、祖父・徳川家康は決して狸ではないと思って、白兎を書いて、献上してきたのでしょう。

大河ドラマ 『どうする家康 第48話』のまとめ

第48話では、徳川家康がようやく天下統一できますが、孫娘・千姫に恨まれてしまいました。

しかし、史実によれば、徳川秀忠よりも、徳川家康のほうが千姫のほうを心配していたとも伝えられているので、少し悪く描きすぎているようにも見えますね。

100年以上も続いた戦国乱世が終わって、達成感に包まれましたが、現代の日本で、あれほど国が変わる事ができるのか?凄く心配になってしまいました。