秋田汐梨さんは、故郷の京都を出て、上京した後に京都の素晴らしさに気づけましたが、それは意外な要因が関係していたので詳しく紹介します。
秋田汐梨が気づいた京都の素晴らしさ
www.instagram.com秋田汐梨さんは、上京するまでは、京都の寺社仏閣の素晴らしさに気づけなくて、東京に住むようになってから、京都の寺社仏閣の魅力に気づけたとコメントしていました。
京都は1000年以上も首都だった所であり、千年王城と呼ばれています。それだけの文化都市なので、平等院鳳凰堂や清水寺などの世界遺産もあれば、金閣寺・銀閣寺などもあります。
これだけの観光スポットがあるのは、日本では京都ぐらいでしょう。
秋田汐梨が京都の素晴らしさに気づけた要因
素晴らしい魅力がある京都ですが、第二次世界大戦では焼け野原にのなる可能性がありました。
あの大戦では、米軍が日本人を皆殺しにしようとして、広島・長崎に原子爆弾を投下して多くの民間人が虐殺されて、各都市に無差別爆撃されて、数え切れないほど大量虐殺されました。
それでも、なぜか京都はほぼ無傷で残りました。なぜ、このような奇跡が起きたのかと言えば、実は広島・長崎と共に京都も原爆の投下候補地にあったからです。
新潟市も大規模な空爆をされなかったのは、原爆の投下候補地にあった事が関係していました。
しかし、日本から鬼畜と呼ばれたカーチス・ルメイが「京都は神社がいっぱいあるだけで、原爆の投下や爆撃をしても意味がない」と反対したからです。
日本の親日派が、米国は文化財を守る道義的な国と美化していますが、これはとんでもない話であり、あくまでも多くの民間人を虐殺して、戦争を早期に終わらせる事を目的にしていました。
米軍が占領政策や共産化を恐れた可能性
カーチス・ルメイが、反対したから京都の原爆投下や大規模な空爆を免れたのは間違いないと思いますが、それ以外にも、日本の占領政策をスムーズに行いたいという想いもあったのでしょう。
もしも、京都を徹底的に空爆していたら、日本人の怒りや恨みは相当なものであり、かなりの高い確率で共産化する可能性がありました。