羽柴秀長が徳川家康に天下を握らせた3つの失策を紹介!大河ドラマ『どうする家康 第26話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第26話』で、羽柴秀長佐藤隆太)が登場しますが、徳川家康に天下を握らせる事になった3つの失策がありました。

そこで、どのような失策をしてしまったのか?詳しく紹介するので参考にしてみて下さい。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

今川家

 

織田家

武田家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第26話』のストーリー

井伊直政が「殿、高天神城の城主が降伏を願い出てきました。城主の命と引き換えに、城兵の助命を嘆願してきたのです。これで、久しぶりに、高天神城が徳川に戻ってきます」と書状を渡します。

ところが、徳川家康は、高天神城から降伏を願い出る書状を見ないで、そのまま火鉢に捨てて、燃やしてしまいます。

家臣たちが「殿!」と驚く中で「上様からの命じゃ。降伏は認められぬ」。

本多忠勝は「降伏を願い出る者を殺して、何の意味もありませぬ」と反対しますが「無駄ではない。城兵を守られなかった勝頼は、人心を失う」と冷淡な事を言い放ってしまいました。

本多忠勝は「何から何まで、上様、上様」と不満を口走る者が出てしまいますが「辞めよ、伊賀の者を見てみよ、上様によって皆殺しにされた。今は上様に逆らえぬ」

「そうじゃ、殿は賢くなられたのじゃ」

本田忠勝は「結構なこった」と吐き捨てて、立ち去っていきますが、いよいよ、織田・徳川の連合軍は、甲斐を目指して進軍していきました。

武田勝頼は敗走を続けて、天目山を登り、家臣たちに「そなた達は逃げよ、ここまで来て、礼を申す」。

その頃、穴山梅雪徳川家康に頭を下げて、織田・徳川に従う事を約束します。

武田家は滅び、徳川家康織田信長を接待する事になり、多くの家臣たちの前で、三河に伝わる踊り、えびすくいを披露して、織田信長はついに大笑いしました。

しかし、接待が終わった後に、織田信長明智光秀に「以前に比べて、心を見せなくなったな。家康、化けおったな」とつぶやきます。

徳川家康は、数名の家臣だけを集めて「信長を殺す。わしが天下を取る」とつぶやきますが、羽柴秀吉は弟の羽柴秀長に「徳川家康から目を離すな」と命じていました。

いよいよ、日本の歴史が大きく動く、本能寺の変が迫っていたのです!

羽柴秀長徳川家康に天下を握らせた3つの失策を紹介』

羽柴秀長は、大和大納言と言われたほどの人物であり、豊臣政権を支えた人物です。兄の秀吉を支え続けていた人物でしたが、徳川家康に天下を握らせる事になった3つの失策がありました。

  1. 淀君たち近江派の誕生を阻止できなかった所
  2. 徳川家康の討伐を進言しなかった所
  3. 短命で徳川家康の決起を防げなかった所

豊臣政権には、おねを中心とする尾張派(加藤清正福島正則たち)と、淀君を中心とする近江派(石田三成たち)の2つの派閥に分かれていました。

豊臣秀吉は、朝鮮の出兵を命じた時に、石田三成加藤清正たちの不心得な所を進言して、あやうく尾張派の多くが処罰される所だったのです。

尾張派は、これを大いに恨んでしまい、徳川家康はこの内部分裂を上手く利用して、豊臣政権を終わらせようとします。羽柴秀長は、この近江派の誕生や増長を止める事ができなくて、これは大いなる失策と言えます。

2つ目として、豊臣秀吉九州征伐を終えた後に、徳川家康を討伐するように進言しなかった所も挙げられます。小牧長久手の時ならいざ知らず、この時であれば、徳川を滅ぼす事は可能だったはずです。

しかし、穏便に徳川を従わせる事に賛同してしまい、徳川家康に力を蓄える好機を与えてしまいました。これも、徳川家康に天下を握らせるキッカケとなります。

最後に、羽柴秀長が短命だったのも、豊臣政権の大いなる痛手でした。寿命は仕方ないと思う方は多いかもしれませんが、徳川家康が天下を取れたのは健康に気を配り、長く生きられたからです。

もしも、羽柴秀長徳川家康と同じように、健康に気を使って、長生きしていたら、日本の歴史は大きく変わっていました。

大河ドラマ 『どうする家康 第26話』のまとめ

羽柴秀長が登場しますが、この人物が長生きしていたら、徳川家康の天下取りも簡単ではなかったはずです。

そして、ラストシーンで徳川家康織田信長の命を狙う事を家臣たちに告げますが、どのような方法で、命を狙うのか?期待したい所ですね。