稲姫(鳴海唯)が真田昌幸に逆らっても笑われた理由を紹介!大河ドラマ『どうする家康 第35話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康 第35話』で、稲姫がいよいよ真田家に嫁ぎますが、のちに真田昌幸に逆らっても、笑われた事がありました。

そこで、なぜ稲姫真田昌幸に逆らっても、笑われたのか?詳しく紹介するので、参考にしてみて下さい。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

徳川家

豊臣家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第35話』のストーリー

豊臣秀吉は母・大政所を人質に出して、ついに徳川家康は、観念を決めて上洛をする事になります。

大政所は、娘の朝日姫と再会をして喜びますが、近くにいた美青年の井伊直政に惚れ込んでしまい、食事をするさいにも近くにいさせて井伊直政との会話を楽しみます。

徳川家康は多くの重臣を引き連れて上洛をすると、豊臣秀吉は大歓迎をして、皆の前で「関白に陣羽織は着させませぬ」と芝居を打ってもらい、臣下の礼を取らせました。

しかし、近くで豊臣秀長石田三成など、優秀な身内や臣下がいて、徳川家康は安堵して、徳川の家臣たちも『もう戦のない世が、そこまで来ているんじゃのぅ』と感慨深くなります。

ところが、豊臣秀吉豊臣秀長と二人っきりになったら、地図を見ながら「日本の外にも、まだまだ切り取る国がある」と不気味な事をつぶやき、豊臣秀長は不安そうな表情を浮かべてしまいます。

徳川家康は、遠江から駿河に拠点を移しますが、そこに、あの真田親子がやってきて、真田昌幸の後ろには息子の信之がいました。

徳川家康は「私にも落ち度はあった。他の領土を差し出すゆえ、沼田を引き渡してくれぬか?」と言うと、真田昌幸は「それでは、あなた様の娘をこの息子の嫁にもらえませぬか」

これに、徳川家康の家臣たちから「あいにく、わが殿には、年相応の姫君がおりませぬ」「それなら、まずは誰かの姫を家康どのの養女にしてからでよい」

弱小勢力でありながら、徳川家に物怖じしませんが、徳川家康はこの要求に従うのでしょうか?

稲姫真田昌幸に逆らっても笑われた理由』

稲姫は、本多忠勝の娘でしたが、徳川家康の養女となり、その後に、真田信之に嫁ぐ事になりました。

ところが、豊臣秀吉が亡くなった後に、関ヶ原の合戦が行われてしまい、真田昌幸・幸村は西軍の石田側へつき、真田信之は東軍の徳川家康につきました。

真田昌幸たちは、軍勢をひきつれて、沼田城へ立ち寄り、孫に会いたいと申し出ようとすると、大手門には稲姫が鎧をまとい薙刀をもって「今は敵である父上を通す訳にはいきませぬ!」

そう言い放ってしまうので、真田昌幸は撤退していきますが「さすが、あの本多忠勝の娘だわ!」と笑い飛ばしたという逸話が残ったほどです。

その一方で、ひそかに稲姫が孫を見せに行ったとも言われていて、一筋縄の姫ではなかった事は間違いありません。

このように、本多忠勝ゆずりの勇ましい所があって、なかなか頼もしい嫁だと思って、笑い飛ばしたのでしょう。

大河ドラマ 『どうする家康 第35話』のまとめ

第35話では、ついに、稲姫が出てきましたね。あの真田昌幸を撤退させた剛の者であり、徳川家で最も真田家に痛い思いを味わせた者と言えるかもしれませんね。

それにしても、これからはどうやって、嫁入りしていくのか?期待しましょう。