大河ドラマ『どうする家康 第41話』で、石田三成が大谷吉継と一緒に話し合うときに、干し柿が置いてありました。
のちに、石田三成は斬首されるのに、干し柿を食べようとしなかったので、その理由について紹介しましょう。
大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト
どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。
徳川家
- 徳川家康(演:松本潤)豊臣秀吉の家臣になる大大名
- 徳川信康(演:細田佳央太)徳川家康と築山殿の嫡男で切腹してしまう
- 松平広忠(演:飯田基祐)竹千代の父で、家臣の裏切りにあう
- 於大の方(演:松嶋菜々子)徳川家康の母
- 築山殿-瀬名(演:有村架純)徳川家康の元正室で、お家のため命を落とす
- 阿茶局(演:松本若菜)徳川家康の側室
- お葉(演:北香那)徳川家康の側室で、督姫を産む
- お万(演:松井玲奈)徳川家康の側室で、結城秀康を産む
- 亀姫(演:當真あみ)徳川家康と築山殿の娘で、奥平信昌に嫁ぐ
- 於愛の方(演:広瀬アリス)徳川家康の側室で、徳川秀忠たちを産む
- 登与(演:猫背椿)徳川家康の叔母で、酒井忠次の妻となる人物
- 酒井忠次(演:大森南朋)徳川四天王の筆頭で、柴田勝家を撃退した程の重臣
- 本多忠勝(演:山田裕貴)徳川四天王の一人で、徳川家の随一の猛将
- 榊原康政(演:杉野遥亮)徳川四天王の一人で、武田軍を翻弄する知将
- 井伊直政(演:板垣李光人)徳川四天王の一人で、井伊の赤備えは特に有名
- 鳥居元忠(演:音尾琢真)徳川家の忠臣で、伏見城を死守しようとする武将
- 大久保忠世(演:小手伸也)徳川家の重臣で、武田信玄から一目置かれる武将
- 平岩親吉(演:岡部大)松平信康の傅役(もりやく)
- 鳥居忠吉(演:イッセー尾形)松平家の老臣で、竹千代を支える武将
- 服部半蔵 -正成(演:山田孝之)徳川家康のもとで、忍びの仕事を引き受ける武将
- 石川数正(演:松重豊)豊臣家へ謎の出奔をする重臣
- 本多正信(演:松山ケンイチ)徳川家の随一の知将として知られる武将
- 夏目広次(演:甲本雅裕)三方ヶ原の戦いで、徳川家康の身代わりになる忠臣
- 本多忠真(演:波岡一喜)三方ヶ原の戦いで、奮戦する武将
- 渡辺守綱(演:木村昴)今川家との戦いで奮戦して『槍半蔵』と恐れられる武将
- 大鼠(演:千葉哲也)服部半蔵に使える忍び
- 女大鼠(演:松本まりか)大鼠の娘
- 久松長家(演:リリー・フランキー)桶狭間の戦いの後に松平家に従う
- 松平昌久(演:角田晃広)桶狭間の戦いで討ち死にする武将
- 山田八蔵(演:山田重英)徳川の忠義を貫く家臣
- 大岡弥四郎(演:毎熊克哉)徳川を裏切る逆臣
- 稲姫(演:鳴海唯)本多忠勝の娘
- 渡辺半蔵守綱(演:木村昴)槍の半蔵と言われた人物
- ウィリアム・アダムス(演:村雨辰剛)最初に侍の称号を得た西洋人
豊臣家
- 豊臣秀吉(演:ムロツヨシ)農民出身でありながら、関白にのぼりつめる男
- 淀君(演:北川景子)お市の方の娘であり、豊臣秀吉の側室
- 上杉景勝(演:津田寛治)五大老の一人で、奥羽の大大名
- 直江兼続(演:TAKAHIRO)上杉景勝の軍師で、直江状で有名
- 毛利輝元(演:吹越満)五大老の一人で、中国地方の大大名
- 宇喜多秀家(演:栁俊太郎)五大老の一人で、西軍として奮戦する大大名
- 豊臣秀長(演:佐藤隆太)豊臣秀吉の弟で、大和大納言の異名を持つ
- 前田利家(演:宅麻伸)豊臣秀吉の盟友
- 寧々(演:和久井映見)豊臣秀吉の正室で、良妻賢母として慕われる人物
- 大政所(演:高畑淳子)豊臣秀吉の母で、秀吉の野心を心配してしまう
- 旭(演:山田真歩)豊臣秀吉の妹で、徳川家康に嫁ぐ女性
- 石田三成(演:中村七之助)豊臣家の切れ者として知られる人物
- 石川数正(演:松重豊)徳川家から豊臣家へ出奔をする人物
- 浅野長政(演:濱津隆之)豊臣秀吉にきつく進言する忠臣
- 大谷吉継(演:忍成修吾)石田三成の盟友
その他
- 昌山-足利義昭(演:古田新太)室町幕府の最後の元将軍
- 真田昌幸(演:佐藤浩市)信濃の上田城城主
- 真田信之(演:吉村界人)真田昌幸の嫡男
- 望月千代(演:古川琴音)武田の元間者
- 望月千代(演:古川琴音)武田の元間者
- 織田信勝(演:浜野謙太)織田信長の次男であり、現在は豊臣家に従う
- 北条氏政(演:駿河太郎)北条家の4代目の当主
- 北条氏直(演:西山潤)北条家の5代目の当主で、氏政の嫡男
- おふう(演:清乃あさ姫)徳川家康の次女であり、北条氏直の妻
大河ドラマ『どうする家康 第41話』のストーリー
徳川家康は、前田利長・浅野長政・大野治長などを処罰していくと、大野治長だけが敵意をむきだしに睨みつけます。
その様子を見て、徳川家康「うぅん?」と言いながら、ゆっくりと歩み寄りながら「死罪を命じなかったのは、我が温情と心得よ」と命じると、歯ぎしりをする思いで「はっ」と頭を下げて立ち去ります。
多くの者たちが立ち去った後に「狸は辛いのぉ」とつぶやくと、謀臣の本多正信から肩を守れながら「きばれやぁ、たぬきぃ、ぽんぽこぽぉん」と言われて「ふっ」と笑ってしまいました。
大谷吉継が「治部ぅ(石田三成)」と声をかけると、石田三成は「おぉ、刑部(大谷吉継)」と応えて、二人で、ゆっくりと話し合う事になります。
大阪城西の丸で、徳川家康が我が者顔で振舞っている様子を聞いて、複雑な表情を浮かべてしまいますが、それは淀君(茶々)も同じでした。
茶屋士郎二郎の息子によって、ウィリアム・アダムスを紹介されて、徳川家康は、異国と戦をせず、交易をするべきという話に「全くもって、その通りじゃ」と納得します。
その頃、奥羽では、上杉景勝が城の建築を勧めていると聞いて、徳川家康は「相手は五大老の一人じゃ、慎重に勧めよ」と、家臣たちに命じました。
しかし、上杉景勝の家臣・直江兼続から、挑戦的な書状・直江状が届き、ついに徳川家は大軍を率いて、奥羽に向かって出陣しようとします。
徳川家康は、鳥居元忠に「我らが留守の時に、動く者がおるやもしれぬ」と言うと「少しでも多くの兵を連れていきなされ、なぁに、ここは秀吉がこしらえた城じゃ」
二人は、これが最後の別れになる事を覚悟して、涙が流れるのをこらえるばかりでした。
ところが、徳川方が予想していたよりも、はるかに多くの者たちが、石田三成のもとに集まってきて、その者たちの中には、毛利輝元・宇喜多秀家たちもいました。
上杉景勝の勢力も合わせると、豊臣恩顧の大名を合わせた徳川勢をはるかに上回る軍勢となったのです!
『石田三成が処刑されるのに干し柿を食べなかった理由』
石田三成は、のちに徳川家康によって、処刑される事になり、近くのものにいた武士に「喉が渇いた」と飲み物を貰えないかと頼みます。
しかし、あいにく飲み物がないので「今は、これで」と干し柿を渡されると「それは体に悪い」と断ってしまいました。
なぜ、これから処刑されようとするのに、干し柿を断ったのかと言えば、君主から恩をかけられた以上は、最後の最後まで、命を惜しんで、恩を返さなくてはいけないと思ったからです。
石田三成は、処刑されると聞いていても、最後の最後まで、豊臣に恩義を返せる好機がないのか?諦めていなかったのでしょう。
大河ドラマ 『どうする家康 第41話』のまとめ
あまり歴史を知らない方は、徳川家康は、すべてを承知の上で奥羽に向かって出陣したと思いがちです。
しかし、それは大きな誤解で、まさか毛利輝元や宇喜多秀家など多くの大大名までが、石田三成のもとに行くとは思っていませんでした。
それを証拠に、徳川家康は急いで、多くの大名たちに書状を書きまくって、少しでも多くの味方を増やそうとします。
石田三成は、のちに干し柿の逸話を残す最期でしたが、豊臣家にあっては『利』より『義』を重んじる数少ない忠臣だったと言えるでしょう。