AKIRAの映画・ドラマブログ

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『忠臣蔵(2004年)2話 赤穂激震』の名言・ストーリー

荒波にまみれていく赤穂藩

忠臣蔵(2004年)第2話 赤穂激震』のストーリー・名言・感想について詳しく紹介しています。

忠臣蔵のキャスト

ドラマ『忠臣蔵(2004年)』は、2004年10月18日〜12月13日まで放送されていました。

監督&脚本&原作

女優&男優&声優

忠臣蔵で登場する人物たちと俳優たちは、以下の通りです。

赤穂藩

上杉家&吉良家

幕府&その他

「第2話 赤穂激震 」のストーリー

桜のように散って行った浅野内匠頭

浅野内匠頭切腹をした上に、赤穂藩が断絶するという知らせまで届き、赤穂藩士達は動揺してしまい、藩士たちは戦うべきか?開城するべきか?それとも切腹したほうがいいのか?難しい決断を迫られていました。

大石内蔵助の元には、浅野本家(広島藩)の重役達が、合戦しないで開城するように説得に来ても、全く応じようとしないので「この昼あんどんめ」と罵られてしまいます。

その頃、上杉家の家老「千坂兵部(演:夏八木勲)」は、大石内蔵助が復讐しようと企んでいないか恐れていました。

小林平八郎は、合戦になる場合について「面倒な事になりまするな」と言いますが、千坂兵部は「合戦になってくれれば、騒ぎは一時に済むが、開城したら、赤穂藩士300名が刺客となって吉良殿の命を狙ってくる」と懸念します。

赤穂藩では、大石内蔵助が、城で再び評議を行いますが、藩士達に殿の後を追って藩の再興を願い出る事を告げます。その決定には、仇討ちをしたいと思っていた藩士達たちは納得できず去って行くのです。

忠臣蔵』シリーズの全話のストーリー

下の内部リンクをタップ(クリック)したら、ドラマ『忠臣蔵(2004年)シリーズの全話のストーリー・名言・豆知識などを見られます。

www.akira-movies-drama.com

「第2話 赤穂激震 」の名言

昼行灯と呼ばれた大石内蔵助

赤穂激震で登場した数少ない名言を紹介します。

大石内蔵助が揶揄された名言

大石内蔵助が、よく周囲から揶揄(やゆ)された名言で、一度は聞いた事がある方が多いはずです。

まさしく昼行灯、昼行灯じゃ

大石内蔵助が、浅野本家の重役の説得に応じなかった時に、重役達が大石内蔵助に向かって言い放った言葉です。

この昼行灯(ひるあんどん)とは、日が落ちて暗くなった夜に灯をともすのが行灯ですが、昼間に行灯に灯をともしても、ぼんやりとした明るさで役に立ちません。

つまり、昼行灯とは役に立たない人物の事をあざけ笑う時に使う言葉で、大石内蔵助はたびたび昼行灯と揶揄されていました。

ぜなら、大石内蔵助は本心を打ち明ける事は少なく、何がしたいのか分からない人物と思われていたからです。

「第2話 赤穂激震 」の感想

上杉家の毘沙門天の旗

赤穂激震についての、独断の感想を書きます。やはり、注目したのは大石内蔵助の辛い胸中でした。

上杉家が悪人側について悲しい

私は新潟出身なので、越後(新潟)の戦国大名だった上杉家が大好です。戦国時代の上杉家の大名だった謙信や景勝は義を重んじる人物でした。

それが、この時代では吉良上野介という悪人側についていたので、凄く悲しかったですね。吉良上野介の悪行が誇張されていたとは言え、あまり良い気分はしません。

上杉家の領地が15万石に?

私は、忠臣蔵を見て上杉家が15万石になっていた事を知って、さらにショックを受けたのです。関ヶ原の合戦前は120万石だったのを、家康から領地を減らされて、30万石になったのは知っていました。

いつから30万石から15万石になったのか調べてみたら、1664年上杉綱勝が実子や養子がいないまま亡くなった事から御家断絶の危機に直面していたのです。

この時に、上杉綱勝の正室の父親である会津藩主「保科正之」が奔走して上杉綱勝の妹と吉良義央吉良上野介)の間に生まれた息子を上杉家当主にすえたようです。しかしこのような騒動を起した事から30万石から15万石に減らされたようですね。

義を重んじる家風があった上杉家だけに、この時に奔走してくれた会津藩に恩義を感じていたのでしょう。

幕末の時代に、会津藩が新政府に攻め込まれそうになった時に、奥羽越列藩同盟米沢藩が参加したのも、その辺りが大きいのは間違いないと思います。

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