ベッカムが弔問に並ぶ?エリザベス女王と北条政子の類似点

ベッカムが弔問に並ぶほど、エリザベス女王が英国民に慕われていました。実は、エリザベス女王北条政子と類似点があるので詳しく解説します。

ベッカムが13時間弔問のために待ち続ける?

英国のエリザベス女王薨去(こうきょ)してしまい、国葬となりましたが、ベッカムが13時間も弔問の列に並び続けました。

有名人だからと言って、ズルもしないで、13時間も並び続ける姿は、偉大としか言いようがありません。

そして、エリザベス女王が、どれだけ英国民から慕われていたのか?それがよく分かるニュースとも言えますね。

エリザベス女王北条政子の国を救った檄

英国のエリザベス女王は、なぜ、ここまで慕われるのでしょうか?それは、英国がコロナで揺れている中で、自身が体験した第二次世界大戦をひきあいに「この難局を乗り越えたようにウイルスに勝つ」と訴えた事があったからです。

かつて、日本でも、後鳥羽上皇北条義時を討とうと考えて、2万騎を動員しますが、北条政子が「源頼朝様のおかげで、あなた達の生活はだいぶよくなったはずです。その恩は山よりも高く海よりも深い」と鼓舞しました。

多くの御家人たちは、北条政子の一世一代の檄に涙を流して、賊となる事を恐れず、19万騎もの大軍で朝廷を打ち破ります。その後に、モンゴル軍が襲来した事を考えたら、北条政子の檄が日本を救ったとも言えます。

とてもではありませんが、戦のなんたるかをしらない朝廷が実権を握っている時に、モンゴル軍が襲来していたら、日本は負けていたでしょう。

このように、エリザベス女王北条政子は、それぞれ祖国を檄で救った所が似てますね。

エリザベス女王北条政子は頂点に長く立つ

英国の女王としては異例とも言えるほど、エリザベス女王は長く頂点に立ち続けて、25歳から96歳にわたって、70年も君主であり続けました。

北条政子も、源頼朝が亡くなってからは武家政権の頂点に立ち続けて、30年近くも日本に大きな影響を及ぼしました。

途中までは、北条時政の力のほうが強かったり、源氏の力が残っていたりしたものの、絶対的な権力を持っていたのは確かです。

一族のスキャンダルを乗り越えてきた女王

エリザベス女王が君臨している間、イギリスの王室は色々な事がありました。チャールズ皇太子がカミラと不倫したり、チャールズとダイアナ王妃が離婚したりしました。

ダイアナ王妃については、エリザベス女王は少し厳しすぎたのではないか?という意見もあるようですが、その後もイギリスの王室は色々とニュースが飛び交う事があったのは事実です。

しかし、エリザベス女王がどっしりと君臨し続けたので、英国の王室はビクともしなかったと言えます。

かつて、鎌倉幕府も、源頼朝が色恋沙汰で大騒動に発展したり、2代目の源頼家は家臣から妻を奪った事さえありました。

まぁ、源頼朝の色恋沙汰の騒動は、半分は北条政子にも原因があるとは言え、そのようなスキャンダルを乗り越えて、鎌倉幕府が長く続いたのも、北条政子の忍耐のお陰です源頼朝の愛妾の屋敷は打ちこわしましたけどね)。