空城の計が見破られたのに攻められなかった3つの理由!大河ドラマ『どうする家康 第17話』

引用:https://www.nhk.or.jp/ieyasu/

大河ドラマ『どうする家康』で、徳川軍は空城の計が見破られるのに、攻められなかったのですが、それには3つの理由があるので詳しく紹介します。

大河ドラマ 『どうする家康』のキャスト

どうする家康に登場する人物や俳優たちは、以下の通りです。

松平家(のちの徳川家)

今川家

 

織田家

武田家

その他

大河ドラマ『どうする家康 第17話』のストーリー

戦国最強の騎馬軍団と恐れられた武田軍が、ついに徳川の領内に迫ってきて、徳川信康も出陣しようとしていました。

亀姫は「虫も殺せぬ兄上が」と心配してしまいますが「それは昔の話じゃ」と言われて、五徳は「武田をうちのめして下さりませ」と、夫の信康を奮い立たせようとします。

武田軍は、怒涛の憩いで徳川の城を落としていった上に、駿河から高天神城に向かっていく部隊も現れました。

徳川家康は「高天神城は簡単に落ちぬ城じゃ」と自分に言い聞かせるように言いますが、本多忠勝から「しかし、高天神城に向かった武田軍が本軍であれば」と懸念してしまいます。

武田の赤備え・山県昌景が進軍してきて、徳川軍の本多勢が激突としますが、あまりの勢いに退却していきました。

徳川家康は、織田の援軍3千と合わせて、1万以上の大軍で浜松城に、たてこもろうとしました。

ところが、武田軍は浜松城を攻撃せず、素通りしていったのです。このまま、放っておけば、遠江の民から『戦いもせず、城の中でおびえていた』と思われかねません。

徳川家康は「我らが勝っている所は、地の利を知り尽くしている事じゃ!有利な地形で戦えば勝機はある」と叫び、出陣します。

しかし、武田軍は、この動きを察知していて、不利ではない地形で待ち構えていたのです!

武田信玄は「童(わっぱ)よ、戦いは勝ってから始めるものじゃ」と、ほくそ笑み、徳川家康は呆然としてしまいます。はたして、徳川軍は、どうなってしまうのでしょうか?

『空城の計が見破られたのに徳川が攻められなかった理由』

徳川家康は、三方ヶ原の戦いで大惨敗して、浜松城は風前の灯でした。そこで、徳川軍は、城門を開けて、かがり火を燃やして、城兵たちがほうきで道を掃き清めていきました。

かつて、三国志の蜀の天才軍師・諸葛亮孔明が、司馬懿仲達をあざむくために行った『空城の計』です。

本当は、何も備えがないのにも関わらず、城門を開けて、何か企みがあるかのように見せかけて、相手に猜疑心を持たせて退却させる策略です。

武田軍は、これが空城の計と知っていましたが、なぜか浜松城を攻めませんでした。

なぜなら、織田と戦う前に、兵を無駄に失うのは得策ではない上に、武田信玄は重い病をわずらっていたからです。

ここでむやみに時間を使ってしまえば、織田信長を倒す時間がなくなってしまうので、先を急ごうとして浜松城を無視したのでしょう。

そして、武田信玄は、慎重に采配をふるう武将だったので、むやみに深追いするのは危険であり、本当に策略があっては大変であると考えた可能性もありますね。

大河ドラマ 『どうする家康 第17話』のまとめ

第17話では、徳川軍が惨敗してしまいますが、そこをカットしないで欲しいと訴えたいですね。

まぁ、ケチなNHIKですから、やりかねないと思っていましたけど、残念の極みです。

いよいよ、徳川軍が空城の計で武田軍を迎え撃ちますが、今度はどんな展開が待っているのか?期待したいです。